9.19
控 訴 理 由 書
平成22年7月27 日
大阪高等裁判所 民事部 御中
控訴人 0 峯 弘
〒546-0043大阪市東住吉区 駒川0000000000
控訴人(原告) 0峯 弘
〒100-8977東京都千代田区霞ヶ関一丁目1番1号
被控訴人 国
同代表者 千葉景子
同指定代理人 秋里光人
同 千手茂美
大阪高等裁判所 受理番号 (ワ)第6195号 控訴理由書
先ず、一審判決1において被告国は以下のように主張した
「国民投票や参政員制度が、憲法上保障された「選挙権」行使の機会を確保するため
必要上可欠であるにも関わらず、これを制定するための立法措置を執らなかったこと
(以下「立法上作為」という)が違憲であるとして、被告に対し、本件制度を設けることに
よって「有識者の意思を反映させる方法」を実施すべき「制度改正」を行うことを求め
るものである」
この判決は 一審訴状の解釈が過っているというほかない。なぜなら国民投票や参政
員制度は「選挙権行使の機会の確保」とは全く無関係であるからである。ここでは明ら
かに、「参政権」行使の機会を確保する・・・と表現すべきところである。
(【正論】日本大学教授・百地章・産経新聞)
http://www.vanyamaoka.com/senryaku/index3322.html から引用すれば、
「憲法は国民主権を採用しているが、国民が主権を直接行使する機会は憲法改正の時
しかない。それ故、国民投票法を制定しないままでいるのは国民主権の否定につながる
というのは、通説によれば、国民主権とはすべての国民が国家権力の正当性の根拠で
あること(全国民の名において憲法が制定されたということ)だけでなく、有権者の総体
が国家権力の究極的な行使者であること(すべての有権者によって憲法改正が行われ
ること)をも意味するからである。
したがって、国民投票は主権者国民が直接、主権の行使に参加できる唯一の機会であ
るから、国民投票法を制定しないということは、国民から主権行使の機会を奪うに等し
い。大法廷判決によれば、国会によるこのような「立法の上作為」(国民投票法を制定し
ないままでいること)は違憲の疑いさえあるとしている」
百地教授は上のように主張されている。
次に判決は「有識者の意思を反映させる方法」と言っているが、国民投票制度や参政員
制度を全く理解していないで判決を出したと言うほかない。国民投票制度や参政員制度
は有識者であるか、そうでないかは全く無関係であるからである。
参政員制度とは、(年5-7の重要議案)について、「政治意識の高い人は(参政員登録そし
て選挙権閉鎖)二ヶ月に一つ出されてくる政治テーマ(参政議案)について政党の姿勢を
見て、支持する党を選び、役所や銀行、郵便局、コンビ二のATM(将来はケータイも)で
議会議決のスペースに入力する制度である、同じ党への参政員の票が「10万票になる毎
に1票
として議員同様の議決票として取扱う(議員はこれまで同様議決に一人一票)」方
式で「10万票1票案」とも言う。
例えばある政治テーマについて、A党を支持する参政員票が815万票、B党を支持する参
政員票が645万票になったとすると、議会の議決にA党票として81票、B党票として64票
を加算する。尚10万票という数字はあくまで仮定のもので、選挙区当選の平均得票数が
適当、参政員登録希望者は1500万人を想定しているから、議員は約500票、参政員は
150票を行使するのではないかと思われる。
参政議案以外(年間100-120議案)は従来の政治手法で議員が消化することになる。
これまでの選挙制度の最大の欠陥は、「テーマAについては与党を支持し、テーマBにつ
いては野党を支持する」と考える有権者の政治意思が表現できないところにある。
言い換えれば、これまでの制度では、投票でその政党の公約全てを支持したものと見な
されてきた。有権者が支持したくなかったテーマについても「支持して戴いた」と解釈さ
れてしまう。
制度そのものが粗いと言わなければならない。しかし技術の進歩によって「より精細に
意思が表現できる」時代に入った。
即ちシステムさえ作れば「議案毎に政党を選べる」のである。人々は「テーマ毎に政党
を選ぶ参政員制度」か「従来の一括一任の制度」のどちらで主権を行使するかを「選べ
る」。判決の言う「有識者」であろうがなかろうが無関係である。
次に「憲法上保障された「選挙権」行使の機会を確保するために必要上可欠であるにも
関わらず、これを制定するための立法措置を執らなかったこと(以下「立法上作為」とい
う)が違憲であるとして、被告に対し・・以下略」とか又「違憲であることの確認を求める
ものである」と判決している。
被告国は、「原告が違憲、違法と主張する」のニュアンスの文言を多用している。しかし
原告は一審訴状においても、準備書面においても「不法行為だ」とか「違憲である」とか
「違法である」とは表現していないし、最高裁を相手にしたのではないので違憲立法審査
権を云々するつもりはない
求償の趣旨は、国による公権力の適法な行使によって、原告が経済、財産上の特別の
損失、(本件の場合は無体財産権(選挙権)を行使できなかった原告のもどかしさ、遺憾
千万の苦痛)を慰謝しこれを償えというものであって、憲法第29条3項が「私有財産、
は正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる」の損失補償請求権に相
当すると考える。即ち、原告に「慰謝料1万円」を補償戴くことで、原告は無体財産権
の放棄(選挙権を白紙で済ませること)に納得し、よって被告国は現行の瑕疵のある選挙
制度を公共のためと称して継続できるのである。尚選挙権は「当人のみが行使できる権
利」として無体財産権と言い得る。
判決では「裁判所の審理の対象となるのは、法令を適用することによつて解決し得ぺき
当事者間の具体的な権利又は法律関係の存否に関する紛争に限られるのであつて、この
ような具体的紛争を離れて、抽象的に法令等の違憲に関する判断を裁判所に求めること
は、裁判所が行使する司法権の性質上許されず、さらに進んで、国家機関である国会に
対し、特定の内容を立法すべき義務を課すことを裁判所に求めることは、三権分立の観
点から許されない」とある。
原告は1.第45回衆院選挙において原告は投票に当たり各党のマニフェストにより、支持
する政策を定め、それをもとに投票しようとした事は一審訴状の通りである。
その結果、両党の評価に甲乙が付けられず、原告は選挙権行使において白紙投票せざる
を得なかったことは現実であって抽象論と決め付ける事は、叙上の不条理、選挙制度の
欠陥について解決の方策がないことを隠蔽するために「抽象論」としたのであり、一括
一任の間接政治、選挙制度の根本的な上条理を埒外に置いて、専ら訴状を中傷する事
を前面に出す事で幕引きを図ろうとしたと推定される。
もし被告国が「本件各制度などなくとも、現行の選挙制度で、政治意思を十分表現でき
る」と主張するなら、原告の事例に則して、どのような手段があるかという挙証責任があ
る。
現下の政治状況は衆参がいわゆるネジレ現象が起きており、各政党は政治テーマ毎に離
合集散するバーチャル連合化さらには政策のバーター取引化を余儀なくされていて、各
党の公約は流動的になつたと言わざるを得ない。そうして見れば国民は各政党の掲げる
公約は確定したものとは思えないのは当然で、公約より政党や党首の醸し出す雰囲気を
頼りに選択をする事となろう。
即ち今の選挙制度こそが漠然とし、粗雑、抽象的とも見える制度である。
片山善博行政刷新会議委員は、制度の粗雑さについて「オミクジを買うようなもの」と
評される。さて、判決には、原告のように「白紙投票せざるを得ない」と考えるのは極
く少数派ではないかとのニュアンスの個所がある。原告が戸惑い、投票できない苦しみ
が特殊なケースか否か、どの程度の人々が投票に困惑を感じているかは調査すれば容易
に分ることである
今ネット世界で世論調査中であるが、現在までのデーターでは、制度の曖昧さ、粗雑さか
ら「投票に困難を感じる」人々が圧倒的に多い。調査サイトは稼動中であるから、是非
参加し、最新のデーターを見て頂きたいものである、驚くような数字を見るであろう。
「投票で、困った、選びようがないと考えた事があるか」
http://www.yoronchousa.net/vote/10702
「投票はオミクジを選ぶのと変わらないと考えるか」
http://www.yoronchousa.net/vote/10711
以下のフジニュースネットワークの千人への世論調査において、、無党派層が約55パ
ーセント、無党派とは思わない人は約40パーセントだ
http://www.fnn-news.com/archives/yoron/inquiry061202.html
無党派層とは政党の公約を一括して支持するのではなく是々非々の目で見ていて、「選
びようがない」と迷いに迷う、「白紙投票」に近い人々と言うこともできる。
「原告のように考えるのは少数だ」との認識は現実の把握が誤っていると言うほかない。
体制を支える人は、「国民から選ばれた人々による議会、難しいテストを受かった優秀
な人々による行政、国家は健康で完璧に機能している」と見えるようである。しかし上
のように国民の多くはそのようには思っていない。多くの指標が先進国の最低に陥って
いる厳然とした事実があるし、「信頼できない職業」の上位の常連は何と「議員」なので
ある
尚判決ではさすがに「原告の政策選択に異議あり」とはしていないが、政治テーマの賛
否、取捨選択に関しての個人の自由意志は基本的人権であるのは当然である。
「抽象論だ」との判決について、一般国民投票は二年前まで民主党が掲げていた公約に
含まれ、法制局による法案さえ準備がある(法案は別途添付している)。政権を持つ同党
が再度掲げる事はありうる。そうなると、一審判決の「抽象論だ」こそ空論になる。
国(代理人)は「現在の選挙制度によって意中の人が選べる」との認識のようだが、まさ
にそれこそが抽象論と言える。なぜならば、もし10の政治テーマがあるとすると賛否の
組合せは幾つになるであろうか、当然7-8の政党では「意中の党は選べない」。尚参政
員制度は、「選挙で一任する党(人)を選ぶ」か「テーマ毎に党を選ぶ」かの二つを用意
して、どちらの制度に主権を使うのかを国民に任せるーーーというものである。
判決では「国民に憲法上保障されている権利行使の機会を確保するために所要の立法措
置を執ることが必要上可欠であり、それが明白であるにもかかわらず、国会が正当な理
由なく、長期にわたってこれを怠る場合などには、例外的に、国会議員の立法行為又は
立法上作為は、国賠法1条1項の適用上、違法の評価を受けるものというべきである。」
とある。
要するに判決は「今の日本の選挙制度はうまく機能していて、修正など所要の立法措置を
執る例外的なケースに相当していない、必要不可欠な事態ではない・・・」と主張する。
しかしそうだろうか、
政府見解として第84回衆議院予算委員会で真田内閣法制局長が「諮問的一般法案国民投
票は合憲」と答弁している事から見ても必要性は明らかである。しかも長年日本社会党
の衆議院議員をされた上田哲さんが、1993.6.14に「国政における重要問題に関する国民投
票法案」を社会党議員他95名の賛成署名を添えて提出しようとされた。
ところが、議員運営委員会理事会の申し合わせがあっても、国対委員長の印のないものは
受理できないと国対は判を押さなかった。受理せよ、受理できないと押し問答しているう
ちに、宮沢内閣不信任案が可決されて、衆議院は解散になってしまったのであり、この顛
末は正当な理由とは解し難い、しかもこの国民投票法案(国政における重要問題に関する国
民投票法案)を編纂した衆議院法制局さえ「これこそが本当の政治改革だ、法案に誇りをも
っている」と新聞記者に話した(上田哲著・上田哲が一人で最高裁を追い詰めたより)との事
。(全66条に亙る国民投票法案は別紙に添付)その後国会が正当な理由なく長期にわたって
これの法制化を遅滞させていることは明らかである。
2006.11.30日本国憲法に関する調査特別委員では、
園田康博議員、辻本清美議員、枝野幸男議員、保岡興治議員などは、憲法は代議制であ
り、間接民主制を採用しているが、96条の憲法改正のための国民投票だけではなくて、
例外的に、一般的な国民国政問題、重要な案件について、諮問的な形で設けてはいかが
かと主張され議事録に残っているが、その後進展は見られていない。
必要不可欠な事態かそうでないかについて、本年(平成22年度)の予算は歳出約92兆3000
億円 歳入約37兆4000億円 税収以外の収入(埋蔵金他)で約10兆6000億円あるが、それで
も44兆3000億円程不足する。これを過去最高の赤字国債で補う。日本の借金の総額
は約900兆円。
日本の返済能力が疑われ始めると「国債暴落」が起き金利が上がる。「償還期限」に返
済できなかった場合、デフォルト=債務不履行、国家財政破綻、となる。財政を健全化
する方法は歳入を増やすか歳出を減らすかしかない。
しかし菅内閣も一皮むけば実は財務省主導だった事が明らかになつた。
政党を問わず政治は議員がハンドルを握れない事が露見したのである。スリム化等痛み
を避けて歳出を減らさず彼ら官僚の流儀で増税路線を繰り返していては破綻は避けられ
ない。役所が政治権力を持つ一例として、田中真紀子外相とモメ、更迭された野上事務
次官がイギリス大使に、渡辺芳樹元社会保険庁長官がスウェーデン大使になった
経済学者はじめ内外の殆どの識者は、官主導の日本はやがてデフォルトし、IMFの管理
下でハイパーインフレという最悪のシナリオに向けて動いているとしているので是非調
査願いたい。勿論その事態には公務員の劇的リストラや減給は必至となる。今まさしく
官民にとり危機状態、危急存亡の時にあるのであり、「所要の立法措置を執ることが必
要不可欠な事態に至っていない」とする判決は、日本が瀕死の状態にあるとの実情を全
く認識していないと言うほかない。まさに下の階が火事なのに上の階では舞踏会をして
いるようなものだ
憲法前文には「国際社会において名誉ある地位を占めたいと思ふ」とある。三権は分立
すると言っても、それぞれは上の精神を体して努力すべきことは当然の義務である
行政府と立法府が双方でにじり寄り、実質的に行政府が政治を牛耳った結果「國際社会
において不名誉な地位を占めるに至った」それら全ては合法、合憲ではあったとしても、
結果は憲法前文に違背したものだ。諭吉翁は「官望に汲々として民望の如何を度外視す
るものは政治を語るに足りず」と言った。まさに翁は現下の政官界の様子を言い当てた
先進国家であった清王朝の衰亡の原因の一つが大きな政府と過剰な規制であり、政官の
頽廃に社会が倣い、社会の精神的活力が衰えた事にあった。今の日本、とりわけ官の肥
大と退廃、社会の二層化、人々の意欲の喪失、米国の二倍の自殺率はまさに現在衰亡
途上にある事を示している。
テレビでは300キロを超す肥満人が自ら動けない様子を見せているが、まさに日本の
政官の現状はこれである。大幅なスリム化が出来なければ破局は間違いなく来る。
参考のために、ここで日本が国際的にどのように上名誉な地位にあるか記述しておく。
1990年と2006年の先進7カ国における16年間の名目GDP比較では、
カナダ..85%増ーーアメリカ..55%増ーーイタリア..52%増ーーイギリス..47%増ーー
フランス..45%増ドイツ.. 32%増ーー日本はたったの..3%増ーー。
09/12/13日経では、「主要20カ国で日本株は唯一のマイナス3.7%・・一方主要国の株
価は9月を境に上げ基調を強めた。ほぼ横ばいのイタリアを除く全てが上昇。ロシアは
27%、中国、ブラジルは2割を越えた
2000年度の時点では世界3位にあった日本の1人当たりGDPは08年、OECD加盟30カ国中
18位に低下。国債格付機関によると、日本の国債格付はAAから落ちて途上国クラスの
シングルA。シングルBになれば投機的クラスになる。
食糧自給率は先進国の中でダントツの最下位。日本の最低賃金の相対水準(平均賃金に
対する%)は28%とOECD諸国の中で、メキシコ、韓国、トルコの3カ国を除くと最低で先
進国中最も低いレベル、
国際労働機関(ILO)は失業手当を受給できない失業者の割合が日本は77%で、先進
国中最悪の水準にあると指摘。
日本の出生率は南欧と並んで先進国の中では特に低く、高齢化ランキングでは日本・イ
タリア・韓国。
2008年、世界銀行が日本の温暖化対策の進ちょく状況は先進国の中で最下位、世界の排
出量上位70力国の中でも61位と最低レベルにあると発表。
日本の社会保障は国家予算の20%(内6割が医療費)。アメリカの福祉,医療の予算は国
家予算の52%。 (低所得者医療補助金や高齢者医療補助その他の医療も含め)。
2009/10/21厚労省発表によれば、国民の経済格差を表す指標である「相対的貧困率」は
15.7%で、7人に1人が貧困状態という、OECD加盟30カ国中、下から4番目。
OECD25カ国を対象に行われた国連児童基金の「孤独を感じる《意識調査(15歳の)では、
日本の子どもが29.8%で最多。以下アイスランド10.3%-フランス6.4%-イギリス5.4%-な
ど.
WHOによる世界各国の自殺率報告では日本は、先進国では最高の自殺率で、人口比で
米国の2倍という高率。
世界155カ国・地域の経済自由度ランキング順位は、1位香港、2位シンガポール、3位
ルクセンブルク、エストニアなどが続き、米国はスイスと並ぶ12位、日本は何と39位
(アフリカのボツワナ並み)、報道の自由の順位は42位(チリ、ウルグアイ並み)。
09年の日本の借金の総額は900兆円。国民一人当たり700万円の借金。地方自治体の地
方債が約200兆円。
国別債務では、国内総生産の約1.8倍の日本はダントツの借金1位。
08年末に、ダボス会議で知られるスイスのシンクタンク「世界経済フォーラム《発表の
「世界男女格差報告《は給与水準や高等教育を受ける機会、政治参加、平均余命などの
男女格差を数値化したもので、首位はノルウェー、2位フィンランド、3位スウェーデン
と北欧諸国が上位を独占。日本は98位。
世界の国の幸福度度http://www.narinari.com/Nd/2006076284.htmlでトップはデンマー
ク、次にスイス。日本は90位。
尚「健康と寿命」の指数が38位、政治分野は107位、経済分野は102位、教育分野も82位
にとどまり、全体順位は主要先進国の間で最低。
米コンサルティング大手タワーズぺリンが世界19カ国8万8千人に聞いたところ、日本で
は仕事に「意欲的でない」「どちらかというと意欲的でない」という人が72パーセント
に達し、国別で最低。
現実の事として、働いてはいても農業や自営業などで、「生活保護以下の収入」の所帯
が1千万から2千万人もいる。
09/12/6日経一面、世界的な需要の減少で米欧も消費者物価は低下しているが、サービ
ス価格がマイナスなのは日本だけ、日本の下落率は突出している」と報道。
09/1/8日経,東大の柳川准教授の半頁に亘る論文が掲載された。「タイタニック号は沈
みつつあるのにも関わらず宴会場は安定し、優雅な宴会が行われていた。・・・日本の
土台自体が崩壊するとの危機感が欠如しており宴会が続いているように思えてならない
。・・・目先の危機回避策も重要である。回復策をとりつつも日本のシステムを見つめ
直していく姿勢が必要だろう。
なにしろ1週間で1兆2千億円借金が増えていっている。「敗戦からここまで発展させ
た」とか「所要の立法措置を執ることが必要不可欠な事態に至っていない」と認識する
人々は、まさに「井の中の蛙」、憲法の期待に反して日本が世界の中でこのように恥ず
かしい地歩を占め、世界から無視されつつあるのを知らないからにほかならない。
判決は「国家機関である国会に対し、特定の内容を立法すべき義務を課すことを裁判所
に求めることは、三権分立の観点から許されない」と主張する、違憲立法審査権を持た
ない一審判決なので当然だ、しかし原告はあえて主張する
「三権は分立すると言っても、それぞれは憲法前文の精神を体して改革に努力すべきこ
とは当然の義務であり、今こそ例外や超法規が要請される緊急時なのである」。
司法としても、民間からの改革のアピールについては肯定的に判断し、議会を刺激すべ
きことはこの緊急時には必要だ。この訴訟を「反逆者による訴訟」と捉えてはならない
。一票格差が違憲との判断が各地裁判所で出始めている。これらの司法の判決が議会を
刺激し、改革が始まるのは悪いこととは思えない。
なぜ現下の非常事態に司法が教条的判断を超えてしかるべきかは、国家が破綻すれば国
民は塗炭の苦しみに合うばかりではなく司法も安泰で済む事などありえないからである。
さて、政治改革として、屡定数削減や選挙区制の修正が上げられる。しかしそうしたこ
とは枝葉末節論である。問題は「なぜ国民が政治・政治家を信頼できなくなった」のか
であり、なぜ世界各国に存在して日本にだけ個別精細に政治意思が表現し得る制度がな
いのかである。
先ず、政治が信頼されなくなった理由の一つは、議員と役人が癒着関係にならざるを得
ない事にある。議員は地元の要求を行政に取り次ぐのが仕事(と勘違い)、筋の悪い要求
でも議員の顔でOKを出させる。
さらに国会質問のネタや資料さらには回答文を要求したり、視察などスケジュールにも
積極的に対応して貰いたい、こうしたことで当然役所とは懇ろな関係の維持が必要であ
る。官僚が「私には出来ません」と言ったら どうにもお手上げなのだ。
残念乍ら議員はこうした政官の関係の維持が重要な為に、立法も施策もある程度官僚に委
任する。こうした結果、法や施策は偏り、社会は二極化し、多くの面で先進国最下位にな
った。
司法は裁判員制度という歴史的な改革をした。判決に刑法不知の国民を参加させる。こ
の制度の違法性を教条的に反対するのは簡単である。
しかし裁判の遅滞や、世間常識と離れた判決を出す裁判官のみでは問題が多いとのこと
で国民の常識と正義感を参加させる。
国民に権力的契機を持たせる・・一昔前なら到底考えることができなかった大改革であ
る。
日本は将来生まれてくる人々に巨大な債務を押し付けて、ようように稼動しているに過
ぎないという緊急事態にある。
まさに裁判員制度が歴史的であるように・・・三権は教条的判断を離れて、それぞれの
場からこの窮状を抜け出るアクションを模索すべきだ。
その意味から上田哲氏が提唱し、衆議院法制局が編纂した国民投票法案を、「これこそ
が本当の政治改革だ、法案に誇りをもっている」と新聞記者に話した法制局員の姿勢は
誠に素晴らしい。
国民投票制度が諮問的制度であったとしても、国民の意思は軽視できず、議会は国民への
扉の多くを開いたと言うべきだ、このために危険論がある。一方「参政員制度」は、国民
の半数は従来の選挙で立候補者を選び、2割ほどの国民が参政員登録をされるものと推定
する。しかも参政員登録は自由意志の為、特定政党に偏らない、裁判員制度のように、議
決は議員と参政員の意思(参政員の意思10万票で議員の一票と同価値に)の合算である。
民主党の代表選挙で党員やサポーターが参加した趣旨、方法は酷似している。
議決の集計に、多分議員は7割以上を占有するだろう。そこで国民投票よりは危険性は少
なく変化は緩やかなものになると推定される。まさに立法の裁判員制度とも言える
「参政権が行使できなかった、投票できなかったことは人権侵害である、それを補完する為
に国民投票制度等を」との主張の補強として、以下のサイトを紹介する。
1.先ず、一般的国民投票、憲法改正国民投票に関して基本的な議論が第164回165回国
会参議院憲法調査会 (2006.4.19他)で行われた。ここに一般的国民投票の必要性の多く
が語られている。しかし政党・議員諸侯はなぜかその実現に進もうとはされない。
http://www.sangiin.go.jp/japanese/kenpou/keika_g/164_02g.htm
2.民主党憲法調査会(枝野幸男会長)がまとめた「国民投票法案」の要旨
対象 憲法改正だけでなく、生命倫理など「国民の重大な関心事」も対象に含める(但し
憲法の基本三原則(国民主権、平和主義、基本的人権の尊重)は改正できない)
http://www.k3.dion.ne.jp/~keporin/info/1704.htm
3.憲法問題に関する世論調査を実施し「改正すべき内容」を改正賛成者にきいている
毎日調査では、トップが「首相を国民の直接得票で選べるようにする」55%で、二位が
「重要な政策課題は、国民投票で選べるようにする」
http://www.jca.apc.org/~kenpoweb/articles/wada103000.html
4.世論調査中の「一般的国民投票制度(9条は凍結)は必要でしょうか」に参加し集計を見
て貰いたい。データーに驚かれるに違いない
http://www.yoronchousa.net/vote/9836
さて、国民が投票のみではなく一般的国民投票制度や参政員制度があれば、議会の誤
りを回避できた可能性のある事件がある。
2008年度第二次補正予算では、定額給付金法案に関して、参院で野党の反対多数で否決
されたにも関わらず、衆議院は三分の二の賛成多数で再議決し、成立させた。これなど
は天下の愚策として一般国民の圧倒的多数から反対されていた法案である。法案は党利
党略、政争の具となって約2兆円が無駄となった。
民意と議会意思が大きく乖離するようでは国民主権そしてデモクラシーとも言えない。
あと一例。「郵政民営化見直し」28000名の意思は「見直し不要」が59%。これが或る小
政党との連携を維持するために「見直し」の可能性があることは衆知の事である
http://polls.dailynews.yahoo.co.jp/quiz/quizresults.php?wv=1&poll_id=5521&typeFlag=1
現体制を肯定する一審判決ではあるが、現体制への信頼性についての国民の意識は以下
である。
NHKは2006年度「政府の役割」調査で、人びとは政府に対して何を求めているのかを調査
した。政治についてどの程度関心があるかを尋ねた質問では、半数の人が「まあ関心が
ある」と答え、「関心がない」という人を大きく上回った。 「医療」「犯罪の取締り」
「環境保護」など6つの項目に関して、日本政府が進める政策に対する評価を尋ねたと
ころ、6項目全てで「成功していない」という人が「成功している」という人を上回った
人々は政府の政策を厳しい目で見ていて、中でも治安の悪化に対する上安が広がってい
る状況が浮かび上がった。また、政治家や官僚はそれぞれ職務を果たしているかどうか
を尋ねた質問では、否定的な意見が6割を占めたが。政策だけではなく、政治に携わる
人々への不信感も根強いことが窺える。
こうした政治に対する意識について、社会階層による違いを見てみると、自分の社会的な
位置を「下位」と受け止めている人たちは、「上位」と受け止めている人に比べて、社会に
対する不満が強く、「所得の格差を少なくすること」を含めて政府により多くの責任を求め
る傾向が見られた。
(原告註・社会的地位が上位の階層は社会の上満が少なく、改革の必要性をあまり強く認
識しない、即ち議員・官僚の価値観のみで立法すると現状認識の偏った判断や立法をする
ことになる。その意味では、多くの違憲訴訟や今回の訴訟についても裁判員制度が適用さ
れればかなり判決は異なったものになるはずであるが・・)
現体制の信頼性に関するデーター1
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20090921-OYT1T00761.htm
2009年9月読売新聞社が英BBC放送と共同実施した20か国対象の世論調査で、自国で
経済的な豊かさが公平に行き渡っているかどうかを聞いたところ、日本では「公平だ」と
思う人は16%にとどまり、「公平ではない」が72%に達した。
ちなみに米国は「公平だ41%―公平ではない55%」、英国は「公平だ39%―公平ではない
57%」、中国は「公平だ44%―公平ではない49%」となった。
「公平だ」と思う人が最も多かったのはオーストラリアで64%に上った。カナダは過半数
の58%で、インドは「公平だ」44%、
(原告註・日本は役人天国と言われている、公務員、公益法人、外郭組織ほか体制内部の
人々は改革の必要性を認識していないのは当然で、一部の大企業を含めると、人口比か
らも上の数字は妥当と思われる)
現体制の信頼性に関するデーター 2
http://www.asahi.com/politics/update/0610/TKY201006100468.html
2010年6月朝日新聞社による3千人全国世論調査を実施した、不安感を4択で尋ねると、
「大いに感じる」50%、
「ある程度感じる」45%で、強い上安を抱く人が多かった。「あまり感じない」は4%、
「まったく感じない」は0%。日本の将来のあり方としては、経済的豊かさよりも「格差が
小さい国」を求める意見が7割を占めた
「政治、経済、社会の仕組みを大幅に改革することが必要」という意見が57%で「いまの
制度を維持しながら改良」の40%を上回る。
「経済的に豊かだが格差が大きい国」と「豊かさはさほどでないが格差の小さい国」のどち
らを目指すかでは「格差が小さい国」73%が「豊かな国」の17%を圧倒。
2007/03/22に「衆議院日本国憲法に関する調査特別委員会」の公聴会で、中川正春民主
党議員は一般的国民投票の必要性を主張、公述人に見解を求めた。
民主党推薦の公述人、前民主党の衆院議員の山花郁夫氏は、「一般的国民投票の必要
性を間接民主主義の補完としても重要であるとの意見を公述した。
国際経済研究所代表の高田健氏は「国民と永田町ではズレが生ずることがある。今ならイ
ラク特別措置法の2年間延長。永田町では賛成多数で決まるが、国民は世論調査をみても
そうではない。国会の知恵を働かして、国民投票を生かしてほしい」とした。
2006年3月9日 日本国憲法改正国民投票制度及び日本国憲法に関する件
枝野幸男委員の発言「憲法改正以外の政策課題についても、国民投票を行うことで国民の
意思を反映させる必要性が高まっていると感じる。この一般的・諮問的国民投票制度と憲
法改正国民投票制度とを一体として整備すべきである。」
民主党園田康博議員は自民党保岡興治議員に「 国民の政治参加という点を重視すれば、
一般的な国民投票制度は極めて重要であると考えるが、昨年の欧州各国国民投票制度
調査議員団の調査結果を踏まえた一般的な国民投票制度の導入の是非についての意見
を伺いたい」と言い保岡興治議員は「オーストリアでは、国民投票がその時々の政府に
対する信任・上信任の是非になりかねないという問題点が指摘され、スペインでも、国民
投票制度は議会制民主主義を補完する二義的なものに過ぎないという指摘がなされた。
一般的な国民投票制度については、なお慎重な検討が必要である」と応えた。「一般的な
国民投票制度は、国民の意見を聴取する究極的な場面であることから、憲法改正国民投
票制度と同時に制定されることが望ましい」の発言があった。
滝実議員は「一般的な国民投票制度について、保岡・船田両委員と枝野委員とでは、意見
が分かれている。一方的に与党案を基に考えるのではなく、なぜ一般的な国民投票制度の
導入が難しいのかをもう少し考え、議論する必要がないか」
2007年3月29日「衆議院日本国憲法に関する調査特別委員会」では保岡興治議員は「憲法
改正を要する問題等についての国民投票制度につきましては、議会制民主主義を基本とす
る現行憲法の下においても検討に値するものと考えられます。そこで、この憲法問題予備
的国民投票とでも言い得る法制度を中心とした一般的国民投票制度については、この法律
の公布後速やかに、その意義及び必要性の有無、具体的な制度設計のあり方について検
討を行い、必要な措置を講ずる旨の検討条項を附則に置くこととしております」と発言。
このほか「昨年の海外調査において議会内及び国民的なコンセンサスの重要性を学んでき
たが、今の与党の姿勢をどう考えるか。 議会内でのコンセンサスが崩れている中で、法
案審議を急ぐべきではないと考えるが、いかがか」など必要性に関して不作為が感じられ
る議論もある。
参考人、国民投票・住民投票情報室事務局長・ジャーナリスト今井一氏、新時代政策研究
会会長中野寛成氏ほか。今井氏は、憲法改正手続法を制定しないことは国民の制憲権の
侵害である、最低投票率制度には棄権運動のおそれがあり反対、一般的国民投票制度に
は原則賛成との意見
こうした政治の動きについて日本労働組合総連合会は以下のように評価している。評価項
目:憲法・国民投票法判定25点/100点
憲法第96 条の理念を踏まえた国民投票法は、その必要性と意義を認めるものである。し
かし、一般的国民投票制度の導入が先送りされ、公務員・教育者の地位利用による国民投
票運動の規制などは曖昧なままとなっている。国民投票法をめぐって、与党・民主党が2
年以上にわたり法案一本化に向けて努力してきた。しかし、憲法改正を参院選の争点にす
るとの阿部首相の意向により、一般的国民投票制度導入が先送りされ、それまでの努力は
台無しになった。国民投票法の成立にあたっては、国民に対して論点が十分に公開された
かどうかは極めて疑問。国民的議論と合意の中で制定されるべきであった。今後の憲法改
正論議にあたっては、この点を十分考慮した対応がなされる必要がある。
デンマークの国会議員の75%がコンセンサス会議を認知しており、小林によると日本の国
会議員はコンセンサス会議にはまったく興味を示さなかったという。
http//www.soc.titech.ac.jp/publication/Theses2005/master/03M43139.pdf
上より1部抜粋ーー「科学技術の論理からは、善悪の判断は生まれない。(専門家の価値観
に疑問がある)したがって、科学技術が生み出す倫理判断未定領域に対して新たな倫理的
判断を確定して、科学技術をコントロールすることが必要になる。
市民参加が求められる背景は、これまで科学技術をコントロールしてきた専門家と為政者
が下す倫理的判断に対する上信の高まりがあるといえる。Joss(2000)は、リスクに対する
市民一般の認識が、専門家や利益団体の認識と大きく異なるとするWynne (1995)らの見解
を引用して、この状況において政策決定者が専門家の見解を重視することがかえって市民
のより大きな上信を招く原因になっていると論じている。
日本のコンセンサス会議は外形的にはデンマークモデルに近づきつつあるが、一般大衆の
代表が倫理判断の未定領域に対してジャッジをする機能は十分果たされていない。結論と
して「日本でも倫理判断未定領域に対する市民の判断を反映させる場を作ることの必要性
は避けられない」としている(まさに参政員制度が期待されている)
この訴訟「白紙投票せざるを得ない、選挙制度の欠陥を補完する民意の政治参加を」の
判決において「裁判所には国会の違法を糾す権能はない」という教条的な判決が予想さ
れる。しかし2006.6.15憲法調査特別委員会に措いて仙谷由人(現内閣官房長官)氏は以下
のように発言している。
「国民投票法案の審議自体あるいは投票法案を論難するということは、論理的には国民
の主権者としての憲法制定権限あるいは改定権限を否定することと同義であると言わな
ければならない。いわゆる「護憲論者」が、生きている憲法秩序や憲法体系が幾ら変化
しようとも、あるいは憲法事実が変転をしようとも、憲法条項の文言が変わらなければ
憲法を守ったことになる、そういう立場から、そのために国民の主権者としての意思の
最も根源的で直接的な意思表示を行うこと、すなわち国民投票の枠組みづくりを妨げる
ということになるのであるなら、それは文言護憲の自己目的化にすぎないと言っても過
言ではない。ーー中略ーー日本の主権者は必ず賢明な選択、判断をすると確信する。
このことに疑念を抱くほど日本の民主主義の成熟度は低くはない。価値中立的な国民投
票法案をつくる、このことによって国民主権、民主主義が前進し、深化し、豊富化する」
ーーー以上で分る通り、為政者側でもまさに「あと一押し」の圧力さえあれば前進するに
躊躇がない段階にある。
緊急の事態にある日本、「国際社会において名誉ある地位を占めたいと思ふ」の憲法前文
の精神が実現する為にも、添付した衆議院法制局編纂の「国政における重要問題に関する
国民投票法案」を精読され、議会が「真の議会制度の改革、参加政治について」議論を開
始しようと決意せざるを得ないような積極的判決を期待してやまない。