10.20
「選択テーマが多く、投票を一党に絞れない、白紙投票せざるを得ない、その償いに国は1万円を、そして一
般的国民投票や 参政員制度を」の趣旨は議会、内閣、首相への訴えであるが、議会や首相の考えとは無関係に、
「国の立場の回答を委嘱されている」とされる指定代理人が被控訴人として彼自身の是非を示し、同じく国の裁定
機関(裁判所・裁判官)が「原告と被控訴人のどちらの主張に正当な理由があるのか」を裁定する。
さて被控訴人の
「理由がない」は当たらない、既に一般的国民投票法案が法制局も通過して完成し上程を待っているものであるから
、いまさら被控訴人が同法の是非を言う必要もなく「理由はある」と言える(しかも二年前まで民主党がアピールし
ている)。 言わばコップにビールは注がれている。
しかし現在、誰も主張せず全く沈静化している。これでは議会、
内閣、首相に不作為があるというほかない。
それで「償え」と叫んでいるのがこの訴訟なのである。
なぜそうなのか
、過去の住民投票においては、制度の欠陥に目を瞑り、必ず議会側から聞こえてきたのが「市民の声を聞くなら議会
の意味、権威はない」である。
民主党政権という大きな変化が起きたにも係わらず、国民の多くが失望したことは政
治システムの構造的な欠陥に起因するものだ。即ち国民の失望の原因は「政権党はなぜ多くの公約を実現しないのか
」と共に、菅首相が選挙で叫ばれた「国民が主体的に参加する民主主義の実現」という心地のいいアピール、即ちこれ
は、二年前に党として掲げ、既に法案がある一般的国民投票法案のことと思われるが、選挙後は全く無関心であること
もある のだろう。
しかしここで司法が立法府の背中を押すならば議会は改めて事の重要性に気付き、議論を始める事
になるはずだ。 似た例では、07/11月大阪市長選挙では本命の関氏を押さえて、「常設型住民投票を制定する」との公
約を掲げた平松氏が当選された。三年経った今(22,10,20)でさえ「議案とすべき事項、選挙で選ばれた長や議会の権限
との関係、投票結果の拘束力のあり方などについて調査・研究を進めている」なのだ。
しかしそれらは事前に分かって
いた事だ。 「選択テーマが多く、投票を一党に絞れない、白紙投票せざるを得ない、その償いに国は1万円を、そして
欠陥を補完する為に、一般的国民投票や 参政員制度を」というこの訴訟は、「選挙における公約・マニフェストがカ
スミのようなものであったり、票の為の撒きエサであっては、政党選択の為の資料とはならず、議会制度の根幹を疑わ
ざるを得なくなる、その為にも重要な政治テーマ毎に国民の意思を問える制度が必要なのである」という意味で、まさ
に菅首相が選挙で叫ばれた「国民が主体的に参加する民主主義」制度なのだ。
日本は破局目前という大変な時局にある
。司法府としては、立法府(議会、内閣、首相)に、「議会制民主主義には欠陥があるんだから、原告を償ってやるべき
ではないのか、そして日本になくても世界各国にあり、しかも法案の準備も整っている一般的国民投票度さらには参政
員制度を議会で議論し始めるべきではないのか」というアドバイスになる判断判決をすべきではないか
司法が歴史的前
進をした裁判員制度の目的は、司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上に資することだ。政治への理解の増進と
、信頼の向上には、 裁判員制度のように「参加する」システムが必要なのだ。
昨今は影の首相とさえ言われる内閣官房
長官仙谷由人氏の15/6/2006憲法調査別委員会における発言を転載する。
「 私は、民主党及び与党が憲法改正並びに
国政における重要な問題に係る国民投票法案をこの国会審議に供した、このことは、国民が国の形、憲法について直接主
体的に意思表示を行うための枠組みがつくられようとしている、そう積極的に位置づけるべきだと考えております。このこ
とは、国民主権制の深化、日本の民主主義の豊富化としてとらえるべきだというふうに考えます。
省略して、いわゆる
一般国民投票法案というふうに言いますが、国民投票法案、この審議自体を憲法改悪の一里塚として、憲法改悪を阻止する
運動論や政治論に基づいて、この国民投票法案の審議自体あるいは投票法案を論難するということは、論理的には国民の主
権者としての憲法制定権限あるいは改定権限を否定することと同義であると言わなければなりません。
運動論や過度の政
治主義ではなく、国民主権の深化・豊富化として いわゆる「護憲論者」が、生きている憲法秩序や憲法体系が幾ら変化し
ようとも、あるいは憲法事実が変転をしようとも、憲法条項の文言が変わらなければ憲法を守ったことになる、そういう立
場から、そのために国民の主権者としての意思の最も根源的で直接的な意思表示を行うこと、すなわち国民投票の枠組みづ
くりを妨げるということになるのでありましたら、それは文言護憲の自己目的化にすぎないと言っても過言ではないであり
ましょう。
また、他方、押しつけ憲法論に基づいた自主憲法制定論からする改憲のためにこの国民投票を提案したという人
たちが存在するとするならば、それは余りにも古いアナクロニズムと言うべきでありましょう。国民を被統治者として固定
し、みずからを統治者として、国民をただただ国家への義務を果たすべき存在としてしか見ないという傾向の色濃い人々が、
ただただ改憲運動の入り口としてしかこの国民投票法案を位置づけないとするならば、これまた国民主権と立憲主義の関係に
ついての理解を欠いたものと言うべきであると考えます。
運動論や過度の政治主義から離れ、国民主権、すなわち民主主義
の深化と豊富化のために国民投票を位置づけることに、合意形成がこの国会で行われるべきだと考えます。 そのような合意
形成が行われるとするならば、おのずからその投票権者の範囲はできるだけ広く、とりわけ世代的に、是非弁別能力のある者
には未成年者であっても憲法の選択あるいは判断機会が与えられるべきであるというふうに考えますし、国民投票運動やメデ
ィアに対する規制はできる限り最小限度で、国民投票運動あるいはメディアの報道は最大限自由であって保障されなければな
らないというふうに考えます。そういう観点から考えますと、民主党の提出した法案は、その合理性あるいは妥当性が明らか
になるのではないかと考えているところであります。
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この翌年2007/03/29-19:
34 時事通信記事国民投票、菅氏は与党修正案に反対=民主、意見集約難航も民主党の菅直人代表代行は29日午後の記者会見
で、国民投票法案について「わが党案が一番望ましいと思っているので、それ以外の案は基本的に賛成できない 」と述べてい
る。
即ち上記の仙谷由人氏の言葉を肯定しておられる。もしも国の代表者である菅首相が本訴訟を裁定する立場であれば「理
由がない」などというはずがない。誤りを認め、議会の議論に入られる事であろう国の代理人は政権トップのふたりが以上のよ
うな考え方の持主であることを認識して整合性さらには責任ある判断をすべきであろう
高裁の判決
.当裁判所も、制度改正請求に係る訴えは不適法であり、また、慰謝料請求は理
由がないものと判断する。
その理由は、原判決「事実及び理由」中の第3の1から3
までの説示のとおりであるから、これを引用する。
2.よって、制度改正請求に係る訴えを却下し、慰謝料請求を棄却した原判決は相
当であり、本件控訴は理由がないから、これを棄却することとし、主文のとおり
判決する
大阪高等裁判所第3民事部
裁判長裁判官 岩田好二 裁判官 三木昌之 同 西田隆裕
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「一般的国民投票制度」を用意せず、選挙で一括一任しかも選ばれた選良に「自由委任」せざるを得ない選挙制度のみという政治制度は、基本的人権の一つ「選択する権利」を奪っています。言うなれば違憲ではないかと考えています。
当然ながら最高裁に上告します