3.16
「参政員制度」は全国の書店で販売(取寄せ可)、またAmazonでも直送します。980円。
以下は「参政員制度」の内容です(一部に変更あります)
「従来の一任政治」と議案毎に政党を選ぶ「選択政治」が並存し、選択できる政治システムの提唱
巻頭に寄せて
国際政治学者今本秀爾さん
ホームページ http://homepage3.nifty.com/imashujapan/
「全員で決める、その代わり責任は全員が引き受ける」これが直接民主主義。「一部の人間で決める、その代わり責任は残
りの多数に押しつける」これが(現状の)間接民主主義。
どちらが納得いくかは明白です。直接民主的制度を導入する最大の意図は、国民個人が政治運営を他人任せにしない成熟した態
度、自己責任感覚を定着させることにあると考えます。
その意味で「参政員制度」は、議論もせず、いきなり直接投票で一気に決めるバクチ的な政治システムではないし、投票で決める
法案も議会や委員会で決め、 参政員は5-7の重要法案の判断に参加出来るとしています。
それは欧米の諸外国で日常茶飯事に行われている国民投票や住民投票制度と何ら変わりないし、いわば国際常識の議論の
範疇に収まる話です。
言い換えれば、議会政治の一部をより民意を反映するように改良した政治制度案であり、それは同時に今の日本の欠陥だ
らけの国会運営体制よりもはるかにダイナミックで民主的な政治を実現する手段と思えます。
(注釈:参政員の意思が10万票集まれば議会議決に一票として加算)
ーーーーーーー「お任せ」と「自己決定」−−−−−−
八百屋さんが、ザルに大根・人参・じゃがいも・ゴボウ・ワサビなどを山盛りにしていると御考え下さい。大抵の主婦な
ら「ゴボウとワサビが入っていなければ買いたいのに」とか、「一つずつ選んで買いたいのに」と考えるのではないでしょうか。
又デパートの福袋も同じです。要らないものまで買わされることになります。
選挙で政党を選ぶということはまさにザルの盛り売りや福袋を買うのと同じなのです。
法案は多種多様にあり、政党はそれぞれについて政党意思を持ち主張します。当然、財政はA党を、年金はB党を、教育
はC党を支持したいと考える国民もおられるでしょう。政策の「盛り売り」「福袋売り」ではなく「一品売り」即ち 「重要テーマ
を公開しますから、その一つ毎に政党を選べる制度を提唱します」 というほうが余程国民を尊重したこ
とになりまするのではないのでしょうか
今「一品売り」(一般国民投票)を提唱している党はありません。全ての政党が「盛り売り、福袋売りが気に入らないなら買
わなくていいよ」と言わ
れているようなものです。しかし公約がパッケージになっていては選べないのです。
09年衆院選挙の40日前に、橋下大阪府知事は「霞が関を破壊して作り直すのが地方分権だ、衆院選では、地方分権を掲げ
る党に1票を」と発言されました。言い換えると「今回の選挙は地方分権を問う選挙だ」です。
4年前小泉氏が「今
回は郵政民営化を問う選挙だ」と叫んでおられたのと似たところがあります。しかし当時、年金問題、医療問題、景気対策
、財政再建、消費税引き上げ、憲法改正、歴史認識問題ほか多くのテーマがありましたが「郵政民営化の是非だけで党を
選んでほしい」これは「他のテーマについては一任してね!」と言うもので、国民の主権を制限したものと言えるでしょう。
その後小泉首相は、自衛隊のイラク再派遣への反対論に対して「派遣は選挙で賛成されている」と主張しています。
しかし当時国民の6割が「派遣反対」だったのです。国民は「郵政民営化の賛否」というシングルイッシューのみに意
思表示していたはずなのですが、袋の中にはそんなものが入っていたのです。こうしたやり方で政党を選ぶの
は危険です。重要なテーマは有権者としてそれぞれに意志表示できる制度が必要なのです。
政党は選挙に際して袋の中に出来るだけ多くの政策を詰め込もうとします。一任政治ですから政策各論について
党の態度を明確にする必要から当然です。しかしそれは却って政治参加の間口を狭めることになります。
例えば、「マニフェストのABCは支持するが、Dについては絶対に容認できない、仕方がない、一票しかないので棄権する
しかない」となりかねません。
例えば民主党がマニフェストに「日米の自由貿易協定を締結し、貿易・投資の自由化を進
める」を盛り込んだことについて、全国農業協同組合中央会など農業関連9団体は「米国は自らの関心品目であるコメ
、麦、豚肉、牛肉などの関税撤廃を求めてくることは必至で、わが国の農業に壊滅的な影響を与えることになる。さら
に所得の増大を望む農家や、自給率向上を望む国民を裏切る公約だ。断じて認められない」と激しく非難しました、民主党は
表現を一段落とすようです。多分「あれはマニフェストに入れなければよかつた」と思ったことでしょう
一般国民投票か参政員制度があれば「食糧自給問題」という基本について国民も参加した意志が集約されます。(勿論各政党は
この問題で多様な主張をするでしょう。参政員制度では、ある一つの重要議案に
ついて各党が支持、不支持を主張し、議論の熟成期間(約二ヶ月)を経て、参政員は支持政党を決めて投票し、10万票集
まる毎に一票として議員諸氏の票に加算するのです(もしくは参政員は一票、各議員は選挙区の平均得票数約10万票を行使)
「これまでの「お任せ政治」は面倒がなく便利だ」と考える国民も多分半数ほどはおられるはずです、そうした方の
意思は議員が代行するのです
09/8/10の日経では、多くの団体が、各党の政策福袋について評価し、得点を付しています。しかしパッ
ケージの内容が問題となると、「いとも簡単に訂正をする党」があったりしてそうした細かい評点などあまり意味を持ちません。
価値が多様化した現代、福袋に入った公約のみでは満足できない人々もおられるのです。
大切なのは、政策の「福袋売り」と「個別売り」を並べる制度にして、「どちらの制度を利用するかを選べる事」でしょう。
「公約をよく見、考えて投票する事が政治を良くする決め手」と言われてきました。「福袋でしか選べない」制度の
下ですから「政治を良くする決め手はどの福袋にするかだ」と同じ事です。
当然欲しくないものも買うことになります。難しく言えば人権を侵しているのです。しかも「自由委任」です。
議員に「国を思って福袋の中身を差し変えた」と言われれば、これはもうどうしようもありません。
即ち憲法43 条「議員は自由委任−選挙人の意思に拘束されることなく、国民全体の代表者として議会において自由に活動を行え
ます」(しかし14 条の平等原則では国民意思から完全に独立して活動するという意味での「自由委任」は否定的なのです)。
また憲法51条では議員の免責特権が保障され、議員としての活動一般について国会議員は法的に拘束
されません
要するに「福袋」の中身は確固としたものではなく色々な形をしたアイスクリームのようなものです。
都合よく姿を変えられても文句は言えず、責任も問えない以上、「選挙制度の真実はホラ吹き合戦」と言っては言
い過ぎでしょうか。
福袋や立候補者を選び自由委任を承知で投票するということは、「私の政治意志は貴方に全托します。どうか思う
ようにやってください」という事です。投票した瞬間にあなたの政治意志は「白紙委任」として議員個人の持ち票になっ
て一人歩きするのです。投票した瞬間に「国民主権」は「議員主権」に変化してしまうのです。
別の表現をすれば、国民は「行き先不明」のミステリーツアーバスに乗せられたようなものと言えるでしょう。
最近は殆どのホテルの朝食はバイキング形式です。バイキング形式のいいところはなんといっても自分で好きな
ものを好きなだけ摂れるところです。勿論コース料理がいいとお考えの方も当然おられるでしょうが・・
すべての人々に満足頂けるもの・・・・それは「バイキング形式」そして「コース料理」が並存していて、そのどちらに
するかを選べることしかありません。
素晴らしいところに旅行をすると御考えください。ある人はスケジュールを立て、ホテルの予約をし、乗り物の
時刻表を取り寄せ、ああでもないこうで
もないという思索を練る事が楽しみ、ところが別の人は、旅行社に全てお任せ、お金さえ振り込めば全て終了、
添乗員についてさえいけばいいのです。この両者の姿勢には是非善悪はありません。どちらにするかを自由に選択できる
ことが重要です。
もしも「あの国は観光コースは幾つかありますが団体行動のみが許可されています」として
自由行動ができなければ満足できない方もおられるでしょう。
政治も全く同じです。
間接政治の基本的な問題として、選挙では立候補者の真実が見えない事、選挙民の意思が自由委任の下、議員の価値観で
一旦咀嚼される事、テーマAについては与党を支持し、テーマBについては野党を支持したいと考える有権者は投票できない事、
投票後に持ち上がった議題には意志表現できない事でしょう。
本書では「議員にお任せのこれまでの政治制度」と「重要な議案毎に政党を選択できる制度」の二つの制度を並べて、
国民はどちらの制度にするかを自由に選べる政治制度を提案をしています。
ーーーーーーーーーー選挙制度には欠陥があるのではーーーーーーーー
近年の若者の凶悪犯罪について何と5割の親が「自分の子にも起こりうる」という懸念をしているそうです。
又若者の将来不安率や自殺率は先進国の中でトップです。根本的には社会(殊に政治)が偏り病んでいるからでしょう。
さて、殆どの政治家が「敗戦からここまで発展させた」と自慢しています。しかしそれは全く自惚れに過ぎません
。
西欧の観光地をご覧下さい、大戦で殆ど瓦礫になった寺院なども復旧させ
、世界から観光客が押し寄せています。
携帯電話は世界で毎年10億台購入されています。日本に限らず、殆どの
国も発展しているのです。
日本では政治家への信頼は低下の一途ですが、技術の進歩そして忍耐心・道徳心
が日本人を爆発させずに何とか支えていると言ってもいいでしょう。
全ての議員、立候補者が「私はできます、日本を良くします」と自身満々、巧みな弁舌で、夢を説いておられます。
どちらかと言えば、失敗よりも成功体験、勝利体験の方を多く積重ねてこられた方が多いのではないでしょうか。
例えば石原知事は「世論調査なんか気にしていたら政治なんかできません」と言われました。そして「何か面白い事
をやろうや」という軽いノリで始めたオリンピック招致運動では150億がムダになりました、
しかし「再挑戦する」とのこと、以前「選ばれない場合は責任をとらなきゃいかんでしょうね」と発言されましたが
、既にお忘れのようです・・・。
07/11月大阪市長選挙では本命の関氏を押さえて、「常設型住民投票を制定する」との公約を掲げた平松氏が当選されま
した。
二年経った今(09/11)「住民投票の対象とすべき事項、選挙で選ばれた長や議会の権限との関係、投票結果の拘束
力のあり方などについて調査・研究を進めています」なのです。それらは事前に分かっていた事です。公約は何だったの
でしょう
「脱官僚」「天下り禁止」をアピールして大勝した民主党は、日本郵政の次期社長に官僚中の官僚、旧大蔵省の元事務
次官を、人事院人事官には前厚生労働事務次官を起用します。
鳩山首相は「能力のある方なら認めるべき」と・・それではマニフェストは一体何だったのでしょう。
選挙中「悪いようにはしないから、白紙委任して欲しい」と言れわておられたでしょうか、そうではないはずです、
「当選後は自由委任」という制度に問題があるのです、僅かの選挙期間中に立候補者の真実、考え方の全てが分かるは
ずはありません
弁舌は爽やかでも「誠実で内省的な人物」の立候補は少ないように感じられます。
今太閤と言われた松下幸之助は「あなたの成功の秘訣は?」と問われたとき「ぼくに学問がなかったことと身体
が弱かったこと」と答えています。
その理由は、学問がないために社員の意見に素直に耳を傾けることができ
、身体が弱かったために思い切って部下に仕事を任せるようになった。おかげで衆知が集まり、社員の持ち味
を生かすことができた、と言います。
彼のような人物は決して「俺はできる、俺に任せろ」などとは言われず、多分
立候補さえされないでしょう、
国民にも幅広い価値観、内省的で優れた人々は多数おられます。いやむしろそうした
人々が多数派ではないでしょうか。
ーーーーーーーーーー政治の成果はいかがでしょうーーーーーーーー
ご存知かと思いますが、日本が世界トップレベルであったのは随分前の事です、今はデフレ、株安、円高、高失業率、所得減少
、高齢化ほか多くの面で先進国で最下位、国際的地位、発言力は一段と低下しています。 英国病、オランダ病は癒えましたが、
今度は我が国の番でしょう。
1990年と2006年の先進7カ国における16年間の名目GDP比較ですが、
カナダ... 85%増ーーアメリカ... 55%増ーーイタリア... 52%増ーーイギリス... 47%増ーーフランス
...45%増ドイツ ... 32%増ーー日本はたったの ...3%増ーー
09/12/13日経では、「主要20カ国で日本株は
唯一のマイナス3.7%・・一方主要国の株価は9月を境に上げ基調を強めた。ほぼ横ばいのイタリアを除く全てが上昇。ロ
シアは27%、中国、ブラジルは2割を越えた」
2000年度の時点では世界3位にあった日本の1人当たりGDPは08年、OECD加盟30カ国中18位に低下。国債格付
機関によると、日本の国債格付はAAから落ちて途上国クラスのシングルAです。
シングルBになれば投機的ク
ラスになります。いまや多くの国際会議でもあまり目立たない、相手にされない国になっているのす。
食糧自給率は先進国の中でダントツの最下位です。日本の最低賃金の相対水準(平均賃金に対する%)
は28%とOECD諸国の中で、メキシコ、韓国、トルコの3カ国を除くと最低で先進国中最も低いレベルです、
国際労働機関(ILO)は失業手当を受給できない失業者の割合が日本は77%で、先進国中最悪の水
準にあると指摘しています。
日本の出生率は南欧と並んで先進国の中では特に低く、高齢化ランキングでは日本・イタリア・韓国です。
08年ですが、世界銀行が日本の温暖化対策の進ちょく状況は先進国の中で最下位、世界の排出量上位70力
国の中でも61位と最低レベルにあると発表しました。
日本の社会保障は国家予算の20%(内6割が医療費)です。アメリカの福祉,医療の予算は国家予算の52%です。
(低所得者医療補助金や高齢者医療補助その他の医療も含め)。
09/10/21厚労省発表によれば、国民の経済格差を表す指標である「相対的貧困率」は15.7%で、7人に1人が
貧困状態という、OECD加盟30カ国中、下から4番目です。
OECD25カ国を対象に行われた国連児童基金の「孤独を感じる」意識調査(15歳の)では、日本の子
どもが29.8%で最多。以下アイスランド(10.3%)フランス(6.4%)イギリス(5.4%)などです。
WHOによる世界各国の自殺率報告では日本は、先進国では最高の自殺率で、人口比で米国の二倍という高率です。
世界155カ国・地域の経済自由度ランキング順位は、1位香港、2位シンガポール、3位ルクセンブルク、エストニア
などが続き、米国はスイスと並ぶ12位、日本は何と39位(アフリカのボツワナ並み)、報道の自由の順位は42位
(チリ、ウルグアイ並み)なのです。
09年の日本の借金の総額は860兆円。国民一人当たり674万円の借金があることになります。さらに地方自治体
の地方債が約200兆円あります。
国別債務では、GDPの約1.8倍の日本はダントツの借金1位になっています。
08年末に、ダボス会議で知られるスイスのシンクタンク「世界経済フォーラム」発表の「世界男女格差報告」は給
与水準や高等教育を受ける機会、政治参加、平均余命などの男女格差を数値化したものです。首位はノルウェ
ー、2位フィンランド、3位スウェーデンと北欧諸国が上位を独占。日本は98位でした。
尚「健康と寿命」の指数が38位、政治分野は107位、経済分野は102位、教育分野も82位にとどまり、全体順位は主
要先進国の間で最低だったのです。
米コンサルティング大手タワーズぺリンが世界19カ国8万8千人に聞いたところ、日本では仕事に「意欲的でない」
「どちらかというと意欲的でない」という人が72パーセントに達し、国別で最低でした。
現実の事として、働いてはいても農業や自営業などで、「生活保護以下の収入」の所帯が1千万から2千万人もいるのです。
09/12/6日経一面、世界的な需要の減少で米欧も消費者物価は低下しているが、サービス価格がマイナスなのは日本だけ、
・・日本の下落率は突出している」と報道しています。
09/1/8日経,東大の柳川准教授の半頁に亘る論文が掲載されています。「タイタニック号は沈みつつあるのにも関わらず宴会
場は安定し、優雅な宴会が行われていた。・・・日本の土台自体が崩壊するとの危機感が欠如しており宴会が続いているよ
うに思えてならない。・・・目先の危機回避策も重要である。回復策をとりつつも日本のシステムを見つめ直していく姿勢が
必要だろう。
なにしろ1週間で1兆2千億円借金が増えていっているのです。
「敗戦からここまで発展させた」と説く人々は、まさに「井の中の蛙」、日本が世界の中でこのように恥ずかしい地歩を
占め、世界から無視されつつあるのをご存知でないからでしょう。
ーーーーーーーーーーーーー未熟・粗雑な選挙制度ーーーーーーーーーーー>br>
世論調査では「もはや政治には何も期待しない」と考える人々が8割近くもおられます。
日本には国民投票がありません、その為政治の基盤は選挙のみです。しかし、一票を投じた途端に、あなたの意志は立候
補者の所有物となって一人歩きします。
しかも彼が当選したとしても、ほぼ所属の党に白紙委任ですから「採決要員」に過ぎず、党実力者の判断に従わなければなりません。
、勿論選挙後に出てきたテーマについては党に任せるよりありません。
(アメリカ合衆国議会では議案に殆ど党議拘束がかけられていないため、議案ごとに個々の与野党議員が是々
非々で交差投票を行います)
片山行政刷新会議委員(慶応大学大学院教授、前鳥取県知事)の言です「選挙はオミクジを引く作業に等しい、知名
度や肩書き、経
歴ばかりが先行し政治理念や品格、行動力などは殆ど未知数ーーー中略ーーー演説や討論を聞いても本人の言葉
をどこまで信じていいのか分らない・・・中略・・・このままでは有権者の不信感はいつまでたっても払拭で
きず政党離れを加速させるのは必至だ」。
言わば「選挙オミクジ論」です。また選挙民は、選挙で掲げていた公約全てに賛成して投票したのではありません。一票
に集約するよりない制度に問題があります。
さらに マニフェスト、公約が守られなかっても「自由委任」の為、責任は問えないのです。
09/11/30の日経では「マニフェストに限界があるとすれば、補う手だては住民投票の活用だ。時々のテーマで住民の
意思を確認することで自治の意識も高まる。首長、議員が抵抗するケースが多いことから「住民投票法」を制定
して促すのは一考の価値がある」としています。
民主党は09年衆院選挙で「公務員制度改革・行政経費二割削減で13兆円削減」と謳っていましたが、圧勝した後は、
これには手を付けず、平成22年度予算編成では経費削減どころか史上最大の「赤字国債増発」に踏み切るようです。こ
れでは国民への裏切りです。
21世紀政策研究所主管太田務氏は以下のように言われました
ーーーーーーーー政治家が後援会など「自分の支持者を中心に国民の声を吸 い上げる」従来方式では、利益誘導型
の政治に陥り易い。日本経済が閉塞状態から脱出できないのは、こうした意思決定方式の下では、痛みの伴う改
革に踏み出せないことによる面が大きい。
だがインターネットを活用して 公共政策に関し、様々な意見を持つ
国民が議論する公開の場が設定されれば、既得権益を保護することになりがちな利益誘導型の政治決定過程を変
える可能性が有る。
インターネットを通して国民が公共的意思決定に参加できるような仕組み は「e-デモクラ
シー」と呼ばれる。
米国では6年前にミネソタ州でe-デモクラシーのサイトが立ち上げられて以来、参加型民主主義の可能性が模作
されているがまだ実験段階の域を出 ていない。 我が国でも国民の政治参加意識を高めて政治改革を促すため、
e-デモクラ シーの実験をすすめるべきだ。
ーーーーまさに参政員制度の必要性を説いておられます。
ところが民主党の小沢氏は地盤の涵養、自由委任の選挙に勝利することこそ議員最大の仕事とお考えのようで、その為に
「辻立ち1日最低50回」といった「辻立ちドブ板選挙」を要請しておられます。
これは「国民が議論する公開の場」
が重要とする大田主管の主張と正反対のような気かしてなりません。
即ち、つじ立ちは通行人の「心情に訴える」事が大きな目的と思われます、「主張はともかく、いつもいつも熱心に訴えて
おられる、熱心さ、姿勢、人間に惚れたので投票してあげようか」という理屈抜きの支持を期待していると言ってもいいで
しょう。
私は民主党党員でしたが「温泉と国会見学ツアー」や「ゴルフコンペ」「旅行」「食事会」など、懇親を
目的としたお誘いがきていました。
これらの狙いは「政策議論はおいて、議員との懇親を高め、一任を迫ろうとする」
古い手段です(勿論議員と懇意であるのを喜ぶ支持者もおられるでしょうが)
しかし政治的民度が高く、政策、マニフェストを重視する人は、心情ではなく「理性」で投票したい
でしょう。「なぜ私の政治意思を他人に一任しなければならないのか、しかもテーマAは与党を支持し、テーマBは野党を支持し
たいのだ」と。教育と情報技術の進歩はそうした人々を増やしつつあるはずです。
「心情で投票させる」のは「寄らしむべし、知らしむベからず」として既に時代遅れであり、正しい啓蒙手段とは言えないでしょう。
神戸空港建設や静岡空港建設は住民による反対運動がありましたが、議会が「是か否は議会の役割だ、市民が決めるのなら議会
は不要になる」等と主張して議会は建設を可決しました。(この件では、田中康夫氏(現国会議員)が「神戸市民
投票を実現する会」の代表に就任。アクティブに反対運動をされました。
「議会は不要になる」について、そもそもデモクラシーが間接政治に変化したのは、人口の増加で同一場所に集まり議論
することが出来ない、多くの議案の全てに市民が関われないので代議員を選び、彼らに委任する制度としたものです。
多くの議案ではなく、重要で、極く少ない議案について市民の意思を問うことは、議会制には反しても、民主主義には
反することにはなりません。
民主主義の原理として正しい故に先進諸国で国民投票や住民投票が行われているのです。
議員が最良にして最賢だとする根拠はなく、これまでの結果ではどうしても献金元や官僚への配慮があるために財政
や環境や福利を損なってきたのではないでしょうか。
08/4/18のテレビ太田総理では「道路特定財源問題(ガソリン税)が議会で結論が出されない、国民投票にすればどうか」
というテーマでした
相変わらず議員同士では激論(というより一方通行の主張)がありました。
反対論の柱は「
国民は目先のみ、それでは政治家など不要になる」。賛成論では「郵政法を問う選挙と言っておいて、郵政法
が可決したから給油も
ゴーという不条理があった、国民投票が当然」でした。
6-7名の議員も含めて結果は11:10で「国民投
票で決める」が勝ちました、一方、一般視聴者は75パーセントが国民投票に賛成です(投票は多分数万人)。
「国民は目先のみ」とは「国民は当面いい方を選ぶだろう、しかし議員は国全体、又、国の将来も考える」と言って
いるようです。しかし以前の振興券、今回の定額給付金は、殆どの国民は反対でした。政府を擁護する論説が少な
かったのは周知のことです。辞めれば責任の消える議員よりも国民の方が思慮深く、国の将来も考えると言えるか
も知れません。
(なお国民投票は、全ての国民に意思を表現させるために大変な事業となり屡行なうのは問題があります。本書の参政員
制度なら、多忙な国民は議員に一任しておけますから、年間5-7程度の大きなテーマを議決できます)
民主党は「一般財源化後、首長や地元住民から聞き取りを行い必要なものは作る」とのこと、 問題は「何をも
って必要と判断するのか」です。「聞き取りをしてから、判断は自由委任されている我々の裁量で決める」
なら自民党政権と同じで、建設ゴーになるものが多くなると思われます。仕事を欲しい企業は強いモチベーションがあ
って議員や役所を頻繁に訪れます、「そんなモノより環境と福利を守れ」の意思はそれよりはモチベーションが劣るの
は当然ですから帰趨ははじめから明らかです。
アメリカやスイス、ドイツ、オーストリア、オセアニア諸国では、 住民投票の結果が最終判断です、事業が住民にそ
れだけのメリットをもたらさなかった場合、結局は住民が負担することになるのですから至極当然のことなのです。
ーーーーーーーーーーーー参政員制度とはーーーーーーーーーーーー
この政治改革案は朝日ウイークエンド経済500号記念特集「私が首相なら、こう改革」提案1924件
から22案が選ばれ、3つの大見出しの一つに選ばれ詳述された事があるので「ベストプログラム」としました(当時は参
政員を参政権者と呼称)。ほか3回ばかり新聞で紹介されましたが、単発記事の為動きを起こすには至りませんでした。この
書の目的は、ネット世界のみの啓蒙であった「参政員制度」を書籍として世に問うものです。
参政員制度とは、
1.選挙・投票を通じて議員に「自由委任」する従来の「間接政治」
2.重要な年間5-7程度の議案、その一つ毎に支持政党を選択する「より精細な間接政治」
国はこの「二つの制度を用意」しておき、有権者に、「どちらの制度で主権を行使したいか」を選んで頂きます(意思表示
がなされなければ従来の間接政治を選んだものとします)
1.は従来と全く変わりません、選挙で一票を投じて頂き、選ばれた議員が議会で議決権を行使します
2.を選択した場合、参政員登録をして頂きます(選挙権は閉鎖)。そして年に5-7程度の国民的な関心のある
議案(2ヶ月に1つの参政議案)毎に支持する政党を決めて、国会の議決のシステムに「政党名を入力」
します(ATM等により)。
参政員の票(同じ政党名)が10万票まとまる毎に、議員の議決の中に「1票として加算」します。
参政員登録されていない国民(1.を選んでおられる国民)の主権は、議員が1票を代行します。
(もう一つのシステムは、参政国民は議案毎に一票を票決システムに入力し、議員は選挙区の平均得票
数、10万票を行使)
1、のこれまで通りの間接政治を選ばれる方は多分国民の約半数、2、の「より精細な間接政治」を選ばれる方は多分国民の
2割です。残る3割の国民は政治に無関心と想定しています
参政員制度が実施されれば、国会の議決のシステムには、議員の意志が4分の3程度を占め、参政員の意志は4分の1程
度を占めるでしょう。
国民は多忙です、100数十もある残りの議案は、これまで同様に議員がこなして頂くことになります
参政員制度を譬えてみれば、政治参加のために「急行」と「各停」の2つを用意するようなものです。議員に一任していたい方は
「議員急行」に乗って頂き、重要なテーマ毎に政党を選びたい方は「各停」に乗って頂きます。
(「各停」に乗られた方は参政員登録をして重要テーマ毎に支持政党を決め議決に一票を投じることができます)
どうかインターネットで「参政員制度」と検索して、ホームページをご覧下さい。Q&Aもあります
人類の意識は多くの悲惨の経験と技術の進歩を通して多くの情報を得て成長してきたと言ってもいいのではないでしょうか 。
共産主義や独裁政治が影を薄くしたのも成長の一つと言えるでしょう。
人も社会も失敗を経験し、得た情報を咀嚼して、誤りを理解し成長するものです
政治も自民党が長期間殆ど官僚に一任してきた結果、当然の役人天国、膨大な借金、社会の二層化で国民の8割もが政治を信頼し
なくなり、民主党に交代しました。鳩山首相は「ただ1票を投じればいいのではなく、政権にモノを言い、政権に参画し
てもらいたい。私たちは、試行錯誤で失敗することもあるかもしれない。国民の皆さんに寛容を求めたい。未知の
世界に挑む。国民の皆さんに育てていただければ幸せ」と国民の参画を促しています。
02年以前には民主党は民意を吸収するべく大規模な掲示板を運営し好評でした。2010/1月より掲示板ではなく、公聴窓口「ハトミミ
」を設けます。しかし国民がどのようにモノを言っても、結局は窓口職員と政治家が取捨選択し
ますから国民が主人公ではなく、議員(党首脳)が主人公であることは変わりません
発足したばかりですが党議員からは「マニフェストになかつた議案が勝手に作られていく、幹事長に一任したつもりは
ない、議員投票で決めるべき」という声が出はじめたのは当然です。
尚政治の本旨と参政員制度の可否について国会議員
と政治学者と筆者で
濃密な論戦がなされています。ホームページの中の「過去7年の議論集」の(03/12/15 - 04/06/11)の中です、是非ともご覧下さい
ーーーーーーーーーーーーーー間接政治と文献ーーーーーーーーーー
間接政治制度とは選挙で代表を選出し、代表に政治を任せる制度です。代表には、プープル代表と ナシオン代表が
あります。
民意の代表即ち、民意の代理人として行動するのが命令委任・・プープル代表、そうではなく、自由委任・・
一任代表としてのナシオン代表(純粋代表)という立場があります(議員は概ねこの立場です)
選挙において、「私はあなた方の意思を議会に反映させます」と公約し、事実反映したのであればプープル代表です。
郵政民営化関連法案は05年参院本会議で、自民、公明両党の賛成多数で可決、成立しました。前国会で民営化に反対票を投じ
た反対派議員二十二人のうち、十九人は「衆院選の民意を尊重する」などとして「賛成に豹変」されました。
「民営化法案に絶対反対します」と叫んで票を集め、当選した途端、「状況は変わった、賛成と判断させて頂くほかない」
とは「あなた方の判断より、私の判断を正しいものとさせて頂きます」と言っているのと同じで、法案の是非善悪は不明
ながらも、選挙民の意思を「正反対の意思として用いた」もので言わば背信です。
数年に一度、1票のみの意志表示が許される選挙、選挙民の意思が当選者議員の所有物になり、議員の考えに従って自由
に使われる(自由委任)選挙制度は、国民による国民の為の政治には程遠く、未熟、粗雑、議員本位の制度という
よりありません
こうした一括一任間接政治は「主権在議員」と言うべきであって国民に真の幸福感はありません。主権在民と言うのなら国民自
らが議決に参加できるべきなのです(とは言っても全面的直接政治は非現実的です。法は多すぎて国民が全てに関わ
る事は出来ないからです、又外交や臨機の対応にも向きません、しかし年に5-7テーマ程度なら不可能ではありません)
「文化経済学」書評原稿( http://hayashiland.com/2002bunka_keizai.pdf)より抜粋
Bruno S.Frey and Alois Stutzer,Happiness and Economics:How the Economy and Institution Affect Human Well-Being,
Princeton University Press,2002、
訳者 : 林 敏彦(放送大学教授)
・・・・人々は政治的決定過程から阻害されていると感じるときは幸福度が低く、それへの参加が
保証されていると感じるときには幸福感が高い。・・・中略・・・
日本では、幸福感は実現値と期待値との相対関係にかかわる個人の人生観の問題であり、他方経済政策はデフレ、失業、企
業業績、国際収支などのマクロ指標の「改善」が目的だとして、両者の視点がかみ合っていないとの印象を強くする。
どうも、個人が幸せになる道は、実現値を高めていくか、期待値をむやみに引き上げないか、いずれにしても個人の努力の
問題だと考えられる傾向がある。
しかし、フレイとシュトゥッツァーは、人々は個人的状況よりむしろ社会のあり方に幸福
の源泉を見出すのであり、その社会の運命を左右する決定に参加できていると感じられることで、個人的には逆境にあって
も幸福を感じることができる、と主張する
英エコノミスト誌前編集長B・エモット氏(著書・日はまた沈む、官僚の大罪、他)の
98年のご発言ですが、
「直接民主制の要点は、政治家の行動を変えるだけではなく、市民の行動と態度を変える。世の中の出来事に全く
何も影響力を及ぼせないとしたら、人々は単にシニカルになり、無責任に振舞うだけだろう。(直接民主制によって)
影響力、もしくはそれを持てる機会を与えられ、責任まで負わされれば、人々は責任を持つて行動するようになるも
のだ。−−−」
(著者註:司法制度は国民の常識を判決に参加させるという歴史的変革をしました。裁判員になられた人々の殆どが
「当初は嫌々であったが、判決に参加してみて、自分の人生にとって大きな生長の機会になつた」と述懐されておられ
るのです)
評論家ア ルビン・トフラーは「第三の波の政治」の中で、現行の代議員制度の限界を指摘しつつ、住民会議、直接請願
権、住民投票などを適宜組み合わ せた半直接民主主義を提唱しています。
五十嵐仁法政大学教授は「現代政治その動態と理論」の中で「今日の大規模社会においては直接民主制が適
用できる範囲は限られており間接 民主制が主流によらざるを得ない。
しかしそれは空洞化、形骸化されやすいという
弱点をもっている。間接民主制のもとで民主主義の実質を確保する為には可能な限り 国民の意思を直接問い、そ
の意思が表明される機会を多くする必要があろう。
このような間接民主制と直接民主制が結合されて、はじめて民
主主義は実現されるのであり、その基礎をなすのは一人一人の政治参加への主体的な取り組みである」「国民主権とは、
国民は自己決定することができる ということではないか。
直接民主主義は間接民主主義をただ補完するための制度にすぎないとする現在の考え方を改め、直接民主主義と間接民
主主義の選択制とするのが望ましい。これが国民主権を具現化する方法であり、 21世紀にふさわしい憲法の姿ではないか」
とされておられます。
山口定大阪市立大学名誉教授は「政治体制」の中で、
「参加民主主義」は、1、市民にとってその利害を守るための最善の方法は決定の形成に参加することであるという考え方
、つまり功利主義的な参加論といえる 2、参加に関する発展理論 .... 参加は参加する人の能力、人格を成長させ
るという主張である ーーー。
西ドイツの「緑の党」は単なるエコロジー運動にとどまらず環境保護、社会的公正、底
辺民主主義という基本原則を掲げ、従来の国家主義的、中央集権主義的、社会民主主義的な福祉国家には反対するもの
の、社会的自助を基礎にした福祉国家の再構築を主張している。
要するにエコロジーと参加民主主義と社会的自助を主
張する新しい政治運動である」
「一新塾」創立者大前研一氏は「インターネット革命」の中で
インターネツトにより「直接政治」が可能になる、国会も議会も不要になる可能性がある、重要案件をまとめて「国民の
選択肢はこれです」と言える代議員たちがインターネッ ト内のフォーラムで論争する、誰もがそこえ参加出来るから
選択肢をフォーラムで決め、あとは冷静に判断して電話で直接投票する。「A案の賛成は70%。可決」という仕組を作る
事ができる
ライヴリー『民主主義とは何か』第1章 には「公理としていえば、被統治者である大衆が、決定過程に
参加することを禁じている体制は、いかなるものであれ、民主的とはいえない・・・
大衆のこの役割を排除している民主主義の定義は、支持されえないことは明らかである。逆にその前提が充た
されるならば」大衆が参加決定過程に関わるのを可能にする条件はいろいろある。
これらの条件は、概してい
えば、直接民主主義または責任ある政治と同一と考えることができる」とあります。
「決定過程に参加」とは
「議員名を書く選挙」ではなく、「議案の議決の場面に参加」です。
(「直接民主主義理論の歴史」と検索して下さい)
500年前の政治思想家ニッコロ・マキァヴェッリは『君主論』で「民衆は抽象的な問いかけをすると間違える
場合があるけれども、具体的に示されれば相当な程度に正確な判断を下す」と言っています
中国革命の立役者・孫文の政治原理は「五権憲法」即ち「立法」「行政」「司法」「考試」「監察」
。「三民主義」即ち「民族」「民権」「民生」です。
「民権」とは「民が四権で政治を管理」すること。
即ち「選挙権」「罷免権」「創成権」「複決権」です。この四権がないと、 「民」は政治を
管理することができず、政治は独走して何をやらかすか判らない。 今スイスの「民」は「罷免権」を除く三権を
持つが、あとの世界各国の「民」はようやく「選挙権」をもつに至っただけで、 これでは「主権在民」の民主主
義政治は行われていないことになると説いています。
(注:「罷免権」は「民」が無能、不正役人をやめさせる権利
。「複決権」は「民」が悪法を変え、やめさせる権利。 「創成権」は「民」が必要な法律をつくる権利)
孫文の時代とは大きく異なり、現代は、情報と技術の劇的発達、さらに人々は時間を持ちます。デモクラシーの基盤
が激変しているのです。孫文が今のネット時代に生きておられれば、「選挙権」のような
「委任制度」だけでは不十分だ、参政員制度のような「直接議決に参入できる権利」も選択できるべきだ」と言われた
でしょう。
「選挙とデモクラシー」明治大学教授富田信男、尚美学園大学学長堀江堪共著 学陽書房
p144 ... R・イングルハートは「欧米国民は政治参加への可能性をますます発展させている。 この変化は投票という
伝統的な活動に参加する率の増大を物語るだけでなく質的に 異なったレベルで政治過程に参与するだろうことを意
味している。 彼等は政策決定者の選択に自分たちの声を反映させるだけでなく、次第に主要な政策の決定への参
加を要求するようになる。
p121 ... 選挙区という限定的地域のみで支持を得て議員となり、他の理由で党内に絶大な影響力を有しているとする
ならば、もし圧倒的多数の国民が不支持であってもその議員が 国家リーダーとなる可能性は極めて高い、党内の勢
力競争に従事する場合選挙民の意 向を考慮にいれる政治家などはいないのである。
いかなる制度をもってしても選挙機能には代議制という間接性から生ずる限界がある。しかし選挙にかわる方法も見
当た らないとするなら選挙活動の在り方を見直し直接民主制的要素を実質的に盛り込んで選挙の活生化を計らねば
ならない。
p145... 政治参加は、選挙参加という古典的な形態から新たな発展を示しているが、同時に研究対象領域が拡大し複雑
化することによって足踏み状態となつている。 しかし、今日、「議会政治の危機」が叫ばれている時、参加民主主義
が提唱され、政党や圧力団体を介在させることなく市民が直接、政策決定の場に関わることが強く望まれているこ
とは否定できない。
つまり大量の政治的無関心が発生し、さらに脱政党化が指摘され、政治不信が拡大するなかで、市民の参加と民意の
フィードバックが重要視されているのである。その意味で政治参加を再点検し、選挙とデモクラシーの関係を「参
加」という原点に立って分析することが必要と考えられる。なぜなら「市民にとって投票する権利よりも重要なもの
はない」からである。
p154 ... 今日、市民としての我々に求められているのは政治への積極的参加であり、政党や圧力団体に政治を委任す
るのではなく、直接的に政策形成過程へと働きかけることであり、政治過程を民主的にコントロールすることである。
p264... なぜ政治不信がびまんしているのか、ここでは選挙との関連において、第一に国民の意見の多様化、利害の多
元化、第二に代表観念の混迷、第三に政治エリートの出身母体などの偏り、第四に情報格差、第五に政治的有効性感
覚の低下---以下略
「現代政治」その動態と理論... 五十嵐仁 ... 法律文化社
p359(最終項) ... なにより重要なことは、それが直接にであれ、間接にであれ国民の意思が政治的決定に正確に反映
されているかどうかということである。例え直接的な参加であっても、 正常な状態で冷静な判断が下せない状況の
もとでの決定を強いられるのであればそれ は民主主義ではない。
たとえ間接的な参加であっても、絶えず選出母体
の意思が確か められ正確に反映されていればそれは民主主義である。
ただし今日の大規模社会においては直接民主制が適用できる範囲は限られており間接民主制が主流によらざる
を得ない。しかしそれは空洞化、形骸化されやすいという弱点をもっている。
間接民主制のもとで民主主義の実質
を確保する為には可能な限り 国民の意思を直接問い、その意思が表明される機会を多くする必要があろう。
このような間接民主制と直接民主制が結合されて、はじめて民主主義は実現されるのであり、その基礎をなすのは
一人一人の政治参加への主体的な取り組みである。
09/7/27の日経の「選択09」に神戸大学名誉教授 野口武彦氏の長大な論文が掲載されています。以下要点のみ。
「2009年の日本はいよいよ幕末の日本に似てきた・・・・開国とは幕府による貿易利益の独占にほかならなかった
。薩摩藩はその理由から兵庫開港に反対した。ご公儀だったはずの幕府は私利私益の代表者と化していた。
膨大な
官僚機構を擁し、既得権を手放そうとしないばかりか、利益を分かち合おうともしない。
・・・・勝海舟は初対面
の西郷に「天下危急日々相迫り、一人も実意那家に尽くす者なし、上下たいてい私に小節を営む」とまるで現代の
日本の政官界のような幕府の内幕を打ち明け、今後は幕府に見切りをつけ・・・・政権交代ではなく、政体、国家の
統治形態の変革、改革に手をつけない限り 日本の政治は根本的に変わらない、念願の政権交代も形を変えた政権
タライ回しに終わるーーーー」要点は以上です
統治形態の変革ーーまさに民主党政権は政治のハンドルを役人から取り戻そうとしていますが、果たして・・・
「政治体制」 ... 山口定 ... 東京大学出版会
p78 ... 代表的な「参加民主主義」論者とみなされているのはペイトマン、マクファーソン、 プーランツァスらの政
治学者であり、企業レベルでの「参加民主主義」を強調するダールがいる。また日本の場合には松下圭一、篠原一
、石田雄、内山英男らがいる。 此の理論には次の4つの基本的な主張がある
イ、参加に関する道具理論
(市民にとってその利害を守るための最善の方法は決定の形成に参加すことであるという考え方、つまり
功利主義的な参加論といえる)
ロ、参加に関する発展理論
(参加は参加する人の能力、人格を成長させるという主張である)
ハ、参加に関する共同体理論
09/9/28..日経「経済教室」で、山本清東大教授、小林麻理早稲田大学教授のーによる2千字ばかりの共同論文が
掲載されました。
極く一部を抜き出しますと「国民が政治や政策への参加を実感し、自らも政策執行にかかわる
事が特に環境・健康福祉政策では重要・・・」「パブリックコメントは実施されているが国民の積極的参加を促す
仕組みではない・・」
外国のサイトですが、ここのアイデア は「参政員制度」に非常に似ています
http://www.ratifiersfordemocracy.org/
「一定の数の「直接投票」が集まれば適当な比率で議会の1議席分として数える」と言うものです
ーーーーーーーーーーーーーーーー直接政治とはーーーーーーーーーーー
荒井広幸参議院議員は氏のホームページで以下のように述べておられます。ヤフーで「情報革命で政治が変わる」とご検索下さい
(http://www.kt.rim.or.jp/~h_arai/policy.j.html)
その中の「3.電子民主主義って何」という項目の極く一部を転載します。氏は先進的な政治認識のお方と思います
・・・・電子民主主義に直接民主主義を期待する声もありますが、そのなかには、ネットワーク議会での完全な直接民主主
義を求める案もあれば、代議制と並行して一部に直接民主制を取り入れる案もあります・・・中略・・・
電子民主主義というと遠い未来の夢物語に聞こえる方もいらっしゃるかもしれませんが、私は市民が政治に関心を持ち、直接的
に政治に参加する機会が拡がることは民主主義にとって非常に重要なことだと考えております。
意思決定への市民の参加を大幅に
高めることによって、民主主義の機能を現実に促進するでしょう・・・転載おわり・・・
直接民主主義の世界的な普及をめざす組織は非常に多いのですが、下はその内の一つです、直接民主主義フォーラム
(Direct Democracy Forum = DDF) (オーストラリア)
URL: http://ao.com.au/ddf/
DDFの趣旨の翻訳の一部をご覧下さい。
このウェブサイトは、「人民の、人民による、人民のための政府」にささげられる。
DDF - 直接民主主義フォーラムは、政治的討論のためのフォーラムであり、 最大限には、すべての市民による直接民主主義的
な立法への参加 をめざす。
現代の情報・通信技術は、今やわれわれに真の民主主義の活動に 対する障害を克服することを可
能にしている。
すべての市民が 民主的討論や立法過程に直接参加させるほうが、選挙で選ばれた 代議士の給料や、
費用、生涯付加給付金を負担するよりも、 安価である(オーストラリアや米国で3段階で支給されているもの)。
パソコンを通じて情報革命がもたらされた 結果、あなたは、 どんな議案(法案)も、その議案に対する
賛否両論も(全部又は一部であっても)読んで検討できるようになった。
あなたが賛否を決定しているの ならば、議案の賛否を直接投票することもできるようになったのである。
議案(法案)は、ある程度の期間有効、 しかも、もしその議案に多数の票が投じられ、それも必要最小限の投
票率 に達するかそれを上回れば、その議案は可決されるとすればいい。
もしその 議案を審議する時間が満了し、その議案に必要な支持が得られなかった ならば、すなわち十分な数の人々がその議案
に投票しようという関心を もたないか、票が少数しか集まらなかった場合は、その議案は否決とする。
もはや秘密にされた議事日程や非公開討論によって、少数の人々が 閉ざされたドアの裏側で法律を順次可決していくという制度
は廃止すべき である。
われわれは、コンピュータのパスワードとリンクしている選挙人名簿番号をもっている。それを使えば
、必要なときに登録すれば投票が 可能になり、議案への賛否の意思表示も可能になるのである。
オーストラリア、米国およびその他の国々の市民で、国家、州、地域 の政府の立法過程に直接参画することを望んでいる
人たち、もしくは 自分たちの意見や主張を、編集者の横入れに従うことなく表明したい という人々である。
そうすれば、他の市
民や政治家も、彼らの意見に 影響を受け、彼らの示唆を受け入れるかもしれない。よりよい「制度」を 創造しようと望む人々を
われわれは求めている。 ・・以上転載
国や自治体レベルでは議案数が多く、間接民主主義が不可欠ですが、地方自治法94条では「町村は議会を置か
ず、選挙権を有する者の総会を設けることができる」として、直接民主主義を認めています。
外国には全面的な直接民主主義政治を唱える方々もおられます。しかし最大の問題は国民のキャパシティーに限界があるこ
とです。
瑣末なもの迄入れればどの国も議案は百を超えるでしょう、その一々について十分理解し
、結論を持つには大変な時間が必要で、国民が全議案に参加し意志表示する事は到底不可能です。
緊急なテーマ、難解なテーマ、外交交渉も国民投票や直接民主主義にはなじまないと言っていいでしょう。
スイスは直接民主主義の国と言われていますが、現実には瑣末な
テーマは議会が消化しています。まさに本書の参政員政治に似た政治が行われているのです。
平成17年に憲法調査会が舛添要一議員ほか各党議員をスイス等欧州における国民投票制度の実情調査に
派遣した報告、そして国民投票に対する考え方・今後の対応等について膨大な会議録を公開しています。
ここでは極く一部のみを抜き書きしますが、直接政治に関して本書と共通するところが非常に多く見られますから、
是非とも国のホームページをご覧下さい。ネットの検索で「164回国会 参議院憲法調査会 1号」と入れますと、
1号、2号、3号の膨大な会議録情報がご覧頂けます。
1号の極く一部抜書きーーーー
スイス議会の特徴としては、議員は他に本職を持ちながら国への奉仕として議員活
動が行われていること・・国民投票は、連邦レベルで原則的に年間四回のスケジュールで行われ、他に州や地方自治体
レベルのものがあり、スイス国民は一年間に二十から三十回もの投票を行っている。
・・
投票全体のうち、郵便投票の占める割
合は八〇%、投票の秘密を守る厳重な工夫がなされている・・欠点として、郵便では決定に時間が掛かり、ダイナミズム
に欠ける・・
フランスの現行
憲法(一九五八年制定)は、国の主権は人民に属し、人民はその代表者を通じて及び国民投票
(レファレンダム)により、主権を行使すると定め、単に代表者を選挙するだけでなく、問題によっては直接に
国民が意思を表明して主権を行使できることを定めている。
このような制度は、「半直接民主制
」と呼ばれているが、イタリア、スペイン等現代憲法の多くが採用している制度・・・・
自由に国民投票の運動を
やれるように助成金を出す
いずれの国もこの直接民主主義、国民投票が国民の政治の中に、立
法過程の中にかなりの歴史を持ってしっかりと根付いて定着をしている・・スイスなどは、空港にエスカレータ
ー、エレベーターを設置するのがいいかどうか、こういう単純なことも住民投票に付される
以下は2号の一部抜粋・・
正に憲法改正手続とそれから通常の重要な国政問題に関する国民投票と、それ
を総合的に対処できるような国民投票法制をつくるべきだ(簗瀬進民主党議員)
公開文書転載は以上です・・・全て派遣された議員諸侯の発言です
サイトをご覧頂ければお分かりかと思いますが、我が国では、汎用国民投票(一般的国民投票)議論は
未だ検討・研究段階であつて「纏めようとする段階ではない」ようです。
議員にとってはパイの席に国民を招く制度と感じて、
余程国民サイドからの要請がなければ今以上には進展しないでしょう。
スイスの投票技術面は「スイスの起業家、投票システムを米国に」としてご検索下さい。
http://www2.swissinfo.org/sja/Swissinfo.html?siteSect=105&sid=5274526&cKey=1098279065000
参考までに09/9/27台湾で離島振興策として、カジノ建設の是非を問う住民投票が
実施されました、利権が生まれそうで政治家は当然賛成のはずですが地元は否決しました。島民の常識には
清清しいものが感じられます。
さて、「直接民主主義はファシズムに利用されやすい」という主張があります。
本書の参政員制度は直接民主主義ではなく「重要な年間に5-7の議案、その一つごとに どの政党(党首)の主張を支持するのか
」という間接民主主義です。
ヒトラーは「全権委任法」からファシズムですが、今の日本の「自由委任間接政治」も多
少似ています
ファシズムや独裁の歴史を見れば、その起源はいずれも「自由委任の間接民主主義」によって生まれたものであること
は明らかです
そもそもいかなる投票行為も公平で十分な情報が与えられ「国民自らの意志による強制なき一票」が保障され
ていることが民主主義の要件です(重要テーマに意思表示ができる事です)
参政員制度は一括一任・自由委任・全権委任ではなく「重要テーマ毎に選ぶ」のですから、ファシズムの対極と言ってもいいでしょ
う
さらに言えば、人
々は歴史から学ぶために、また多方面から情報を得られる環境のために、ファシズムの可能性は全くありませんし、さらに
50パーセント条項(議決への占有が五割を越すと五割に圧縮)により議員の意思が五割は保証されており、全面的な直接政治に
ならない制度になっています
参政員制度Q&AのNO.45もご覧下さい
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー地方分権ーーーーーーーーーーーーーー
地方分権は江戸時代の幕藩制度に似ています。地方・地域がそれぞれの事情に合った、より適切で柔軟な統治ができるとして政治
改革の柱とされる空気があります。
しかしどのレベルの地方自治体が主体性を持つかにもよりますが、成功の為には、自治体の独自財源の強化は勿論、行政のスリ
ム化、住民投票や住民監査そして条例制定権さらに情報公開の促進が必須条件です。
さらに言えば、欠陥があるままの選挙制度の下、ボス的首長が独裁的権力を持ったり、自治体内部で組織的不正が起きる可能性
、国からの財源と権限の保障や、地方から国への義務的なもの、外敵の侵攻に対しての防衛や治安維持、など未解決の部分もか
なりあります。
予算も年度中に使い切るという原則のままなら、無駄な施策が増えることも容易に想像できます。いつか破綻して「こんなこと
なら中央集権で厳正な監理をして貰っていた方がよかった」とならないとも限りません。
日本のように狭い国土で、少し移動する度に法や規制が変わるというのでは問題だし、非効率という考え方もあります。
橋下知事は4億の年収と30本の番組の殆どを投げ捨てて 当選するか落選するか不明な選挙に立候補され、当選されました。
これほどの犠牲を払って立候補するほどのモチベーションの方はこれからもう出ないかも知れません。
しかしその彼がかなりの改革をなしとげて任期を終えたとします、
彼が去り、おそらく10年もしない内に パーキンソンの法則によって府政は元の木阿弥に戻るでしょう。
例えばハコモノのカギを開閉するだけの府職員年収800万円、内部で執務する民間の方は年収400万円などという今の
不条理が当然のことのように復活し、減らしたはずの職員も元のように増えるでしょう
地方政治の改革は住民投票や住民監査そして条例制定権、情報公開の促進など、基礎を固めることが重要です。
「地方分権より、先ず国民分権・住民分権」こそが重要かと思います。
ーーーーーーーーーーーーーー行政厚遇ーーーーーーーーーーー
東京都区会議員の日記より
2009年10月08日(木) 平均人件費年901万円
伊豆高原学園に勤務する大田区公務員は兼務を入れて8名である。伊豆高原荘と兼務の職員の年間人件費(社会保険、
年金事業者負担含む)は、なんと年額1102万6620円である。
給食のおばさんを主とする、伊豆高原学園職員7名の人件費は、一人当たりなんとこれまた、901万9712円という額
である。事業者負担の法定福利厚生費を除いても、一人756万円は、年間106日調理をする仕事、それも、伊東という
物価と人件費の安い場所での仕事としてはどうだろうか・・・・・以上転載
年に106日の調理業務、どうみても厚遇です、区として伊豆高原学園を持つ必要性も疑問です。
スポーツから趣味まで文化的な活動の場として大阪市の全24区にある区民ホール、各区毎の「財団法人・・コミュニティ協会」
には、職員が約8人、年収各430万円、天下り役員と市の職員の2人に年収各750万円が支払われているのです。
(池田市は地元の自治会に任せていて、運営費用はなんと大阪市の30分の1以下です)
一昨年大阪市を退職した幹部職員389人のうち、2/3の272人が再就職、そのうちのおよそ6割がこうした外郭団体に天下って
役員になっています。市はそれらの団体に年間1,000億円前後を支出。天下り役員の平均年収は700万円以上です。
ここで取り上げたのは日本全国の自治体のまさに九牛の一毛です
地方分権が実現したとしても、地方政治(投票ではな
く票決の場面)に住
民の常識が参加しないと、こうした例のようにムダや厚遇がなくなることは絶対にありません。
総務省の公式HPでは国家公務員の平均年収は662万円総額44兆円、地方公務員728万円総額211兆円。(尚上場企業の平均年収
は589万円。 民間の平均年収は434.9万円)。
検証できませんがヤフーの検索情報としては、
国会図書館で2000万円以上を取る職員は19名、衛視は900-1200万円、200名の速記者は800-900万円。
役所の窓口係は頭を下げるので多くの自治体で「不快手当」、また学校給食員や清掃職員に特殊勤務手当
てが付きます。
公務員退職金平均約3千万円(退職前1,2階級特進のお手盛り)。国民年金は月額6万6千円(全額自腹)
公務員の年金は平均約21万円(全額税金)、
06年の数字として、青森県734万(民間450万)格差284万。
長崎県726万(民間463万)格差263万。 長崎市726万(民間463万)格差263万。
大分県743万(民間483万)格差260万。 秋田県723万(民間466万)格差257万。
山県県736万(民間486万)格差250万。(この民間とは、従業員10人以上の企業の平均給与)
09/11/5日経、厚生労働省の医療経済実態調査では、国公立病院の事務職員の平均年収は600万円台で、民間病院の1.8倍と
のことです。
殊に国立病院事務職平均は687万円で、民間病院事務職の351万円の約倍です。公務員からなる
公立病院が赤字体質の原因の一つです。
信じ難い数字ですが900兆円債務の70%は官僚公務員の人件費で、残りが公共事業費
との情報もあります。
各地の社保事務所で最近(08年)まで続いていた妙な儀式ですが、本庁から新所長が赴任する。地元職員らが「天下
り所長は帰れ」と連呼する。所長は直ぐに東京に帰る。日を改めて自治労と「地元のしきたりに従う」といった
覚書を交わす。ようやく所長は着任する。
いわゆる「出来レース」の結果「ノルマ禁止」「パソコン利用の禁止」等々、
組合は数々の不条理な覚書に署名を求めました、こうして社保庁の行政サービスの質は著しく低下したのです
独立法人「高齢・障害者雇用支援機構」が業務委託している社団法人雇用開発協会は、厚労省270名の天下り機関としてヒマな状況が
新聞やテレビで報道されています。(http://www3.plala.or.jp./seijian/koyou.html)
いわく「窓口の職員は8人いるが、1人が
1日あたり2〜3人の相談を受けるだけで、その6割は15分以下で終わるという。関係者は「コーナーはいつもガラガラ。履
歴書の書き方や面接の対策は教えるが、肝心の職業紹介ができない。『ハローワークに行ってください』というだけなので、
怒って帰る相談者も少なくない」
まさにパーキンソンの法則そのままの水脹れ組織で、高齢者の為というよりも天下り公
務員に職場を提供したものです
08/7/13産経によれば、厚労省統計情報部が、職員約5万5000人のうち、東京・霞が関の本省と8つの地
方厚生局計約55000台のパソコンを対象にインターネットの閲覧状況を調査した結果、ゲーム、
チャット三昧 業務以外のホームページの閲覧は何と1日12万件。その内「2ちゃんねる」の閲覧も3700件
あったとの事。
平均一時間として人件費は一日2億円が遊びに使われたことになります。年間約600億円です、これは
氷山の一角でしょう。全省庁なら数千億円の人件費が盗まれている事になるのかも知れません
尚、役所が発表する様々な情報、数字は官僚が「行政全体の利益を慮って」出す、出さない、数字の改竄などを
経た可能性があるものと考えておくべきです(ですから上の数字さえ控えめの可能性も)
GEには「一回の不正で退社」という決まりがあります。例えば出張旅費数ドルでも意図的なごまかしと判断されれば辞
職を迫られます。 このルールに署名するのが入社の条件です
お役人天国の日本では、不正が露見しても数千万もの退職金・・ 「公務員は不正をしない事になっている、処罰する法
は存在していない」と言った幹事長がいたように記憶しますが・・・・
60数年前の大本営発表の戦況が全く信頼できないものであったことは全ての高齢者がご存知です
09/9/27日経の中外時評では「官の数字ではなく民の数字」という下りがあります
恣意的な情報の一例としては、全患者を肝炎認定すれば3兆円にも膨らむという過大情報で首相を激怒させた例
「90年比25%炭酸ガス削減は所帯の可処分所得は22万円減り、光熱費は14万円増え、GDPは
3.2%減り、失業率は1.3%悪化する」として産業界への負担増にブレーキをかけるべく世論操作用の情報、これは
経産省がヒネリ出したものです
原発関連情報も官の数字です、信頼性は高くはありません。このように行政からの情報、
数字のみ
で判断する事は官僚の仕掛けた罠に嵌る恐れがあります
報償付きの内部告発制度を設けるべきなのかも知れません
独立行政法人日本貿易振興会(ジェトロ)におられた友人の証言では、ジェトロに天下りしてきた元官僚は連日麻雀
の残業、12時頃になるとタクシーで帰宅していたとのことです
中小企業でさえホームページを持ち、世界へ
アクセスできる時代です。日本製品の販売のためのこの巨大組織の役割はとっくに終えていると言うべきでしょう
しかし国庫交付金、年240億円があり、2千名もの天下りがいる組織を無くす事は難しいようで、対日投資の
促進、外国企業誘致ほか種々の事業を「ヒネリ出して」います
このジェトロと、国際協力機構(JICA・3000名・運営費
交付金1550億円)と各国にある日本大使館の三者の業務にはかなり重複したところがあります
こうした重複業務や時代錯誤のムダ業務は全省庁・独立法人・特殊法人にあります。実質的に破綻している日本にとって
許される事ではありません。
日本の公務員賃金は国際比較の観点から見ても高いようです。以下のURLでグラフをご覧下さい。
http://www3.plala.or.jp./seijian/jinkenhi.jpeg
官僚の価値観は「天下る椅子は増えるのか」「扱う予算が増えるか」「部課が増えるか」であり、個人個人の善悪
というよりも、監督法や組織に問題があるのです。
民主党の調査では、官僚の天下り団体は4505団体、所管する法人などに天下りした国家公務員は25000人。自民党
の発表では、その内、天下り先作りのために存在しているような団体は1606団体、1643人とのこと、
09/10/15日経では、
会計検査院の調べとして、昨年4月時点で補助金を受けた公益法人は1521法人、内1163法人に9900人の天下りが在籍
。
天下りのいる法人は平均で4億7千万の補助金、天下りのいない法人へは平均で6200万円(これらはあくまで役所の出し
た数字です)。尚天下りの八割ほどは非常勤役員として在籍
これらの法人に補助金などとして、合計12兆円余りが交付されていると多方面から言われています。
この内
98%の団体が競争入札ではない「随意契約」で発注業務が行われているとの事。仕事をさせるための業界資格、免許
交付を独自に法律で決めてカネ集めと権限の独占を行っています
官僚天下り先一覧のミラーサイトをご覧下さい。http://www3.plala.or.jp/seijian/amakudari.html
(なお天下った当人には余り重要でもない閑職に座らされるとのことですが・・)
09/9/28日経インタビューで行政刷新会議の片山善博委員(前慶応義大教授・元鳥取県知事)は「事務次官ポストを廃止
して、大臣が幹部人事をすればいい。今の事務次官は省庁の権益の守護者、国民の利益に反する事ばかりしている。
専門知識も持たないし、得意なのは根回しと場つなぎ..と語っておられます。
知事時代には中部ダムを治水、利水両面で効果が期待できないとして建設の中止を決断されました。
それまで県は「河川改修よりもダム建設の方が改修より安くつく」としていたのですが、実際には河川改修費用を
高級仕様で見積もり、ダム建設費用を100億円余り減らして説明していました。「将来、嘘が明らかになれば責任を
問う」と担当職員に迫ったところ、こうした事実を認めたのです。
役人は自らの天下りポスト確保の為に数字の
操作をしていた可能性があります。
郵政改革一つを見てもお分かりのように、政治家の力は退任とともに薄くなり、いつか覆ります。しかしより根源的な
システム(例えば参政員制度)を構築して国民がそれに参加すれば そのシステムは百年後にも機能しているはずです
これまでの官僚依存政治は霞ヶ関が実質的に国の頭脳で、結果としての国の凋落そして役人天国です。
福田元首相は官房長官としては歴代最長となる1300日ばかりの在任日数を務め、中央省庁に強い影響力を示され、
官僚には「お役人」と呼ぶほど信頼を寄せておられました。
しかし年金記録紛失問題や後期高齢者医療制度への対応など「お役人」の相次ぐ不手際や怠慢で足元を掬われ
辞任を余儀なくされました。
「官僚を使いこなすのがいかに大変かが分かった、これまでの政治や行政を根本か
ら見直さなければならない」と「国民目線」の重要さに気づかれました。
民主党政権によって国の頭脳は国家戦略局がとって替わります、国民も局に提言できる制度なら期待できそうです
(ただ、政権を握って三ヶ月も経たないのに、官僚の任用が多く、自民党の亜流との批判が出はじめています)
本来、行政府は立法府の作った構想、法などを恣意を交えずに現実化する立場にあるのです。
国家戦略局として検討すべき骨太の制度としては、一般国民投票制度そして、国民投票よりも下位の
テーマは参政員制度、公務員の給与を決めたり罷免できる制度、国民が悪法を改廃する制度、国民が必要な法律をつくる制度、
行政情報をweb化する制度(今は不十分)、権力を持つオンブズマン制度等などが考えられます
イギリスを再生させたサッチャー、不況のアメリカを脱皮させたレーガンなどが民営化路線で成功したこと
は日本も考えるべきでしょう。
民営化については廃棄物処理施設、病院、 保育、介護、社会
福祉施設、既存施設の運営・更新事業、上下水道事業
、水道検針、ごみ収集、 市営バス地下鉄、公営住宅賃貸借、公営斎場、学校給食、用務員、庁舎・公共施設での
受付、各種登録・申請、発給、交付業務、行政業務の支援事業、職員研修ほか多数あります。
自民党の憲法調査会が97/8に発表した世論調査ですが(1)分かりやすい現代的文体にする(四八・四
%)(2)重要な問題で国民投票をする(四四・三%)(3)首相を国民が直接選挙する(四三・三%)・・
でした。一般国民投票制度は国民の願いなのです。
現状ではパーキンソンの法則によって 本当に必要な執務の二倍、三倍以上の無駄な執務が行なわれているので
はないでしょうか。
鳩山新政権は事業の合理性、必要性を検証、「仕分け」するために、09/9月行政刷新会議を作られ11/11より始動を始
めました。
これについて09/11/30の日経では、上山信一慶応義塾大教授の半頁の論文を載せています。一部転載・・・省庁側の説明者、
仕分け人、担当事務局、さらに国民全てが学習していく中で、停滞した政治と行政に直接民主主義の息吹を伝える
役割も秘めている。・・・中略・・・公務員給与の削減は仕分けに先立つてやるべき作業であり、労働組合に配慮してこれ
を避けるならば国民は仕分けを支持しなくなる。・・・中略・・・仕分けは実は国民が主体的に国のあり方を考え
治す「文化大革命」なのだ・・・転載おわり
各地方自治体でも同じ動きが見られるようになりました。兵庫県高砂市では35人の市職員を仕分け人に起用して87事業
を検証、驚いた事に「現状通りが適当」と判断されたものはたった14事業に過ぎなかったのです(09/11/2日経より)
仕分けに関して奈良市のサイトでは以下のように書かれています、以下転載
厳しい財政状況のもと、より一層効果的、効率的な行政運営を行うために、本市で実施している事務事業をゼロベース
で見直すこととし、「そもそも必要であるか」、「市が実施すべきなのか」、「実施手法はこれでよいのか」など外部の
視点による議論を通じて見直しを行うことにより、行政資源の有効活用を図るとともに、事業に対する行政の説明責任の
徹底と職員のさらなる意識改革を推進するため、「事業の仕分け」を「構想日本」の協力を得て実施します。
当日は公開で行いますので、ぜひお気軽にご来場ください・・以上
パーキンソンの法則とは
公務員は仕事の多寡に関わりなく、一定の割合で増加するという法則です。
仕事は与えられた時間一杯まで引延ばされます。部下を増やすために仕事の間口を広げます。
仕事を完璧に仕上げたいために部下を設け、その部下も同じ思いで部下を設けます。こうした結果
多くのデスクが増え、管理組織も当然肥大します。(成長の法則)
公務員が増えれば、「実際に必要ではない仕事を創りだす」ことでまかなわれます。つまり、無駄な仕事ば
かりが増えていくということです。書類が山のように増え、有意義そうな会議が繰り返されますが殆どは
時間の無駄となります。(凡俗の法則)」
もう間に合わないかも知れませんが、国も地方自治体も、事業仕分けを徹底して行われなければならないのです。
09/9/21テレビ6chによれば、文科省から児童の教育関連の定期図書が刊行され方々に配本されているそうですが、受取った
ところでは梱包のまま捨てると報道していました。
もともと必要性をコジ付けて発行しているものなのですから訴求力もなく当然利用度も多くあるはずはありません。
携わった人々の給与、退職金まで考えれば、恐ろしく高くついているはずです。事業仕分けでは省庁の刊行する図書
の必要性も検証すべきでしょう。
刊行物でなく、作成した職員以外には見られることなく保存期間が切れる書類も又膨大です。作成する文書の過半数は
不要、無駄という主張さえ聞きます。必要性を厳密に検証し、電子化したり、取捨すれば職員は今の3分の1で
十分なのかも知れません
国民にもかなりの不便をもたらすかも知れませんが、政治家は公務員を3分の1にしたニュージーランドの劇的な行
政の縮小も真摯に研究すべきです
自民党 石原のぶてる議員のHPより 転載します。
「この20年間、ニュージーランドの行政改革は大規模かつ広範囲に行われました。1986年に約8万9千人を数えた国家公務
員は、2001年現在3万人。各省庁は全て企画部門だけに特化されており、ほとんど現場(執行機関)を持ちません。
例えば日本の運輸省にあたる役所は、1986年当時4500人の職員を抱える巨大官庁でしたが、87年に航空管制業務を企
業化したのを皮きりに、道路運輸局、事故調査委員会、交通警察、自動車運転者教育、気象予報、民間航空局、海上
保安、陸上交通、車検を次々にアウトソーシングし、現在の職員数はわずかに60人。更に各省のトップである主席行
政官は公募によって雇われ、3年から5年の期限付きの契約によって達成すべき目標や給与が明確に定められています」・・
転載終わり
(同国の劇的な行革は郵便局が1/3になるなどかなりの痛みも伴いました、しかし行革をせずに破局していれば痛みはそ
れどころでは済まなかったでしょう)
asahi.comの2008/04/24によれば、自民党国家戦略本部の国家ビジョン策定委員会は、公務員削減は道州制への
移行を前提として、10〜15年後には国家公務員を30万人から10万人に減らし、衆院定数を200(現行480)、参院定数
を50(同242)に削減することを柱とした政治体制改革案を発表しています。
09.8月にはさらに公務員8万人削減に変更しました、民主党は国家公務員の人数ではなく人件費総額2割削減を打ち
出しています、この民主党案に、09/8/15日経の霞ヶ関官僚130余名へのアンケートでは、官僚の57%が反対で、
「士気が下がる」「優秀な人材が集まらない
」と考えています。しかし田中康夫議員は、長野県知事時代に、「なぜ公務員を選んだのか」という調査をされ「安泰
が保証されているから」が絶対多数であった事に驚かれています。本当に士気と能力のある方は公務員よりも
能力主義の民間会社を選ばれるとする主張もあります。
全ての公共事業も含めて過去の構想、施策の殆どが問題ありき(官僚サイドから見れば成功)だつたことを顧りみれ
ば、政権交代を機に行政は「企画・構想」と「幾つかのモデル提案」の役割から降りて貰うべきでないでしょうか。
俸給については以前、自民政府の「地方公務員の給与に関する研究会」に対して、人事院は「給与制度の検討に際
しては、地方公務員の給与が、地域における一定の社会的規範性を持ち、
地域の民間賃金にも大きな影響を与える性格を持っており、地域全体の賃金水準の引き下げや地域経済の一層の
疲弊を及ぼすなどの影響を十分に考慮して検討すること」という申し入れをしています。
言い換えると「我々公務員の給与が地域を生かしている。給与を下げると困るのは地域」と言って脅しているよ
うです。過疎地域における最大の消費者が公務員であり、「地域の最大の産業が役所」というケースは無数の自治体で見ら
れるのは事実です
公務員の消費が地域経済を支えている-----例えば極く僅かの生徒に「機会均等」の大命題を掲げて、校長、教頭
、教師、さらには給食要員までを抱えた学校はかなりあります。
勿論ですが、地域から突出した給与・退職金が支払
われています。尚公務員の給与の多くは地域での消費よりも貯蓄に回るはずです
地方に国家公務員を派遣する二重行政を止めれば年間13兆円が浮くとは多くの議員が主張され、政党のマニフェストにもなっ
ています。
昔は許認可申請等で東京の本省に出向くのに大変な時間と費用を要しました。そこで「国民の利便を考えて」
出先窓口を設け(地域・広域の治水や建設関連など必要性のある部門もあることはありますが・・)てきました。
(小笠原における就業人口に占める公務員の比率は驚くべきことに二割強)
今は中央省庁への申請や交付、相談などは僻地離島からでもパソコンやファックス、電話で十分可能です(パソコンを利用
されれば公務員減らしに繋がるという理由から、難解な書式などでわざと使いにくくしている為、残念ながら殆ど利用され
ていません、これ幸いと制度の廃止さえ検討されています)
都市からネットで遠隔地医療の手術さえコーチされる時代に「中央から派遣され、待機して頂く」必要性などどこに
あるでしょうか。専用パソコンを置くだけで済むはずです
全国の地方自治体には各種の補助金行政に携わる膨大な職員が待機しています。一元化可能な部局はかなりあるはずです。
分権が適当な少数の部門以外は、逆に一元化、集権化することで不正な動きを封じ、大幅な経費の削減ができるでしょう。
大企業に即した給与計算方式も5-10人程度の中小企業も含めての計算にすればさらに10数兆円安くなり、どちらかでも
実現すれば消費税10兆円はゼロにでき、両方が実現できればより高福祉にする事も・・・・。
事業仕分けには出ていませんが公務員の共済年金だけに税から投入されている 追加費用年金は実に 年間2兆円、給与自体が
民間よりも1.6倍高いというのに・・・
ーーーーーーーーーーーーーー政と官の関係はーーーーーーーーーーーーー
民主党は政権を握ったのですから国民との契約であるマニフェストにある国家公務員削減と人件費総額2割削減を実行する責任が
あります。
ちなみに シンガポール政府は、09年夏の公務員のボーナスは、支給しないことを決めました。公務員組合は
「世界的な経済危機で民間に合わせたものだ」と了解。尚日本の公務員の夏のボーナスは、当初の予定より月給0.2カ月分
減額され、1.95カ月分が 支給されます。
ご存知かと思いますが、これまでは重要な法案は何日も霞ヶ関役人が徹夜して省庁間や与党と調整し、事務次官全員の賛成を
経て閣議に上げられてきました。
この間、何れは天下る企業の権益を著しく侵さないようにいわゆる霞ヶ関文学もちりばめてきたこ
とで法案は実質的に「骨」が抜かれてきたのです。故橋本首相が「事務次官会議を止めよ」の指示も蛙の面に水。
事務次官会議は、その後も週二度の閣議の前日に首相官邸で行われてきました。各省庁の事務次官全員が、法
案など閣議にかける案件について他の法律や条約の整合性を確認等、調整作業を行う明治時代からの慣例です。
各省庁に異論がなければ了承されたとして閣議に出されます。これまでの業界厚遇、公務員厚遇に反
する案件は法制局かこの会議で「整合性に欠ける」「前例がない」などとしてフルイにかけられてきたのでしょう。
議員がなぜ結果として業界や役人を厚遇する事になる法制局やこの会議の不条理に目を瞑ってきたのでしょう
か
議員が「議員として有能」と地元で評価されるためには、違法スレスレの許認可や補助金を多く取る事です。
それには官僚の協力が絶対に必要です。
官僚の権益を損なう何らかのアクション(例えば官僚の給与や定員削減について議会内で勉強会)をはじめればどうなるでしょう
か
霞ヶ関から議員会館へ頻繁に動きを探りにきていますから、アクションが知れると全省庁の官僚からシカト
される事は必至です
地盤の企業からの要請を役所に取次ごうとしても、書類は放任(いわゆるツルシ)されるでしょうし、視察なども不自由になり、
何らかの資料を請求しても「ありませんでした」か、使い物にならないガセばかりが出されてくるはずです。
官僚への不利益がさらに明らかになる気配になれば、大臣といえども評価を貶めるべくあらゆる工作をするもので
す。
テレビでは、鈴木宗男氏が、「なぜ こうした役所の不条理について、議員は黙っているのでしょう」とい
う質問に対して、「役人に楯突いたら私のように足を掬われる」という意味の発言をしています、官僚は議員からの違法
又は違法スレスレの要求に応じておいて、あとでハシゴを外して、議員を貶めるという事でしょう。
過去には大臣就任祝いを配らなかったとして追い落された大臣や、菅厚生大臣への「カイワレ犯人説」進言、
真紀子大臣が中国で宿泊の際に、極端に豪勢なホテルを用意した事、狂牛病が騒がしくなりはじめた時期に農相に
試食させ「ウマイウマイ」発言を引き出すなど、煙たい大臣や議員の評価を落とすために多くの手段が繰り出さ
れました。
07/12/29産経の要訳です、
薬害肝炎訴訟に関して厚労省幹部は複数の政府・与党関係者に「一律救済を認めれば国の負担は最大3-10兆円に膨ら
む」「原告団には特定の思想がある」との情報を流し続けていた。原告団は当初から、一律救済の対象者となるの
は最大1000人程度で国の一時金負担額は最大で200億円に抑えられると主張してきた。真相を知った福田
首相は官邸で被害者らと面談後、厚労省幹部を呼び「話が違うじゃないか」と厳しく叱責した。
そして「鶴の一声」で薬害肝炎訴訟の原告一律救済を決断した。もっと早く救済していれば内閣支持率はここま
で下がらなかったとの恨み節も聞こえる。ある自民党幹部は「官僚は組織防衛のためにあらゆるウソをつくこと
がよく分かった。今回の一件で政治家も目を覚ましたのではないか」と漏らしたーー以上要約ーー
09/10/26日経で、中央大学の阿部泰隆教授は、概略「厚労省官僚は内閣法制局や国会・大臣等を騙し、法令ではな
く省令で違憲の行政運用をする。例えば医薬品のネット販売禁止や混合診療を認めない」を上げています。
勿論これには官僚上がりの議員も画策したのでしょうが、官僚は裁量権等自らの権益を維持する為に、国会で承認さ
れた法律や閣議で承認された政令の場合には「霞ヶ関文学」で骨を抜き、省令や、告示、通達、施行規則などになると
自らの利益のために違憲、違法スレスレの添削をします(一例が情報公開法です)。霞ヶ関は「行政情報」
が権益・力の源泉ですから、政治家の要請でも全てを出すことはあり得ません。
議会は大半が元政官の関係者(09.6現在霞ヶ関官僚出身は約70名、他議会関係者)ですが、役人の権益を削る法案を画策
する奇特な議員は
こうした失点を誘う手口の犠牲になる事を覚悟しなければなりません。「行革アクションは票にならない」として「役人
天国問題には手をつけたくない」というのが政党や議員の本音でしょう。
なお悪質で国家公務員倫理法などに反した場合「社会観念上著しく妥当を欠き、裁量権を濫用した
と人事院が認めた場合」懲戒処分の指針に則り、懲戒されますが、ここで「社会観念」という言葉が出てきます。
悪事をした役人に向かって、人事院の価値観で裁量するのです、人事院が社会通念の持主であれば問題は少ない
でしょう。しかし横領でも「返せば罪はない」というケースがかなり見られるのではないでしょうか。
裁判員制度における裁判員は刑事事件への判決参加よりも、役所の不条理な業務や公務員倫理法違反等に関わることが正解
でしょう。09/12/16日経、政策研究大学福井秀夫教授は「国民が直接、行政の問題点を司法に訴える国民訴訟制度を
(行政不服審査は身内による甘い採決)そして司法が行政を統制できる為には、事実上役人が裁判官人事原案を作り、内閣
が追認するのを修正すべしとされています。
国、地方公務員、特殊法人、外郭会社、公益法人、公団 公社、事業団、政府系銀行な どのいわゆる「政官産業」の就労者
総計は900万人、家族を含めて2千万人と言われていますが 、 1000兆円を超す債務、実質的に国家破産とも言われる今、
「政官産業」のみが、バブル期と あまり変わらない人員と報酬を確保し続けています、(09/8/25人事院勧告では約1%の
給与削減)
まさに母屋はオカユ、奥座敷はスキヤキです
貧困率などから見れば国民は公務員に収奪されていると見られても仕方
がありません。
「なぜこれだけの給与なのか、なぜこれほどの人員が必要なのか、なぜ公務員が直接携わる必要があるのか」に つい
て、追求すべき民主党議員も多くは政官産業出身者や議会関係者であり、自治労からも3名の議員が入っています、
、かなりの「仕分け」がなされたとしても大きな成果は期待できません
そもそも仕分け事業の選定は、財務省官僚の作成したリストがもとになっている上に、対象省庁の反論に対する再反論
まで官僚が指導しているのです
このように財務省官僚の先導に、民主党の独自色を加えたのが今回の仕分け作業です。
「ここまで手取り足取り教えている以上、民主党から賃金引き下げや人事権を言いだせない」と彼ら官僚は読んでいるのです。
尚、この仕分けは、仕分け判定人が少な過ぎる事もあり、研究費削減など拙速面もありました。賛否論を十分させ、ランダムに選
ばれた国民数百名に判定して頂くのがいいのかも知れません
09/9/17、新政権は基本方針の一つとして「閣議案件を事前審査する事務次官会議の廃止」を入れました、野田内閣になり事務次官会議は復活しました。
その折の鳩山首相の言葉は「おやじは国会議員を尊敬する主体と思っていなかった、長期政権にあぐらをかき、
優秀な官僚の皆さんに(政策を)丸投げしてポスト争いをした政治だ。
123年続いた事務次官会議の廃止は、
決して官僚たたきと思わないでほしい。民意に沿った政治の当たり前の第一歩。よちよち歩きを始めた姿を認
めていただき、皆さんの優れた才能を国民のために発揮してほしい」と官僚に誠に低姿勢です。
09/10/19の
日経世論調査では優先的に取り組んで欲しい政策課題は「行政のムダ使い削減」が断然トップです。マニフェスト
の「行政経費二割削減」を実現しなければなりません。
しかしそれは官僚の利益を損なう事になるのは明らかです
、09/12/1現在は「税収を越す赤字国債発行は必至」です(支持率はかなり低下するでしょう)
さらに、官僚はあらゆる機会を捉えて「政党や議員に貸しを作っておこう」とします。
障害者割引郵便制度の悪用事件では「これは政治案件だから」と議員の要望を優遇しようとする趣旨の言葉が交わされました。
テレビに出演された元官僚は「役人は議員に貸しを作りたいものだ」と打ち
明けています。
又一例として農林水産省は09/6/14、日本鶏卵生産者協会が昨08年2月に開いた養鶏危機突破緊急全国生産
者大会に民主党議員を招待したため、同省食肉鶏卵課長らが協会幹部に「大会を中止すべきだ、与党の了解を受け
なければ補助金がつかないこともありうる」と“圧力”をかけたとのことです。これも自民党族議員に貸しを作り
たかったからではと思われます。
議員に恩を売っておけば、役人の権限増大と予算確保などの為のいろいろな法・条例を持ち出したり
、法令に恣意的添削をしたときに「魚心あれば水心」で、議員からは抵抗を受けず大目に見て貰えます
勿論これ以外にも、豪華な視察
を提案し、過剰に待遇し、視察報告書まで作ったり、法文の表現を僅かに添削して「これは先生のお仕事に」とい
うオミヤゲ法案、国会質問のテーマの指導、模範解答の作成そのほか書き切れないほどの手練手管で議員を恩縛り
にしてしまいます。
(日本が米英のように元役人の立候補規制ができないのもこうした恩縛りの結果と言えるでしょう)。
大田弘子政策研究大学院大学教授は「官僚は与党の有力議員と関係を築いて政策を作ってきた。国民にしっかりとした
選択肢を示すためには官僚はエキスパートでなければならない」と主張されています。
(国民の利益になるエキスパートなら
いいのですが、八ツ場ダムで使われた理解不能の「費用便益分析」ほか、いわゆる「知術の賊徒」であっては困ります)
行政刷新会議の片山善博委員は、「国家公務員は社会正義や弱者への思いやりが欠けている。志や正義感、気迫にあふれた
人を採用しないと・・」と言われます。
ただ自分の安定の為ではなく、日本の窮状を改善せんとする目的意識を
持った方を採用できる選別方法、例えばボランティア経験年数なども取入れるべきでしょう)
さらに政治家や官僚は、相互の縁組によってより強固な立場を築こうとしている事も驚くべき事です(田中真紀子氏が「娘にいい人は
いないかしら」と官僚に相談の例も)、
姻戚関係まで構築してしまえば議員も、官僚の味方になつて当然です。
高級官僚間の電話の多くは議員・官僚子弟の姻婚話だとも聞きます。こうして政官が相互に引き付け合った結果、
民間がいかに苦境にあろうとも政官の利益のみは確保した政治が行われてきたのです。
「公務員制度の総合的な改革に関する懇談会」が、「国家公務員が国会議員と接触することを原則禁止」と答申
しましたが当然の如く却下されました。
残念乍ら民主党も大半の法案は官僚が立案し、党議員、幹事長などに根回しの後、閣議で承認そして国会審議となりそうですが、
役所が占有する情報を下に作られた恣意的、偏った法案を修正する事は小沢幹事長と雖も至難です。
勿論ですが官僚に暴露作戦ほか非協力態度に出られれば殆ど政治活動は進まず、国民から統治能力を疑われますから
、マニフェストのような大胆な行革案、大幅な経費削減を実現する事は無理でしょう
「みんなの党」が政権を握った
としても多分同じはずです。根本的な不条理解消には「官僚に気兼ねのいらない多数の国民が議決に参加する制度」、即ち国
民投票や参政員政度によるしかないのです
官僚が強い立場に立てる基盤は、高度な専門性と技術性が要求される諸問題に対して政府立法、委任立法 、 行政
裁量権等により大幅な行政権の拡大を(政治家の不勉強もあって)認めざるを得なくなった事や、国費を費やした膨大な行政
情報の私物化です。
官僚は「行政情報は役所の所有物であり、優位を保つ為の武器」と認識しています
が、本来は国民全体のものであって占有を許さず、外交や人事、国防機密を除いて電子化され広く公開されるべきなのです。
以前、菅氏が厚生大臣の時、官僚から何度も「資料は見つかりません」と言われて、「それならオレが探す」と言った後、
資料が出てきた事件がありました。小泉氏が首相の時には官僚の対応に4度ばかり怒った事がありました。しかし官
僚に「私にはできません」と抵抗されれば、首相でさえどうにもできないのです。
永年官僚のトップ、古川官房副長官
は「政治家は大方針を示し、官僚を信頼して任せて欲しい、政治家が官僚の役割りまでしていて政治活動ができるのか」
との事、しかし年金行政の不始末はどうでしょうか。行政は信頼できると考える国民がおられたでしょうか。「信頼して」はあまり
にも虫のいい話、国民を馬鹿にした話です。
HIVエイズ事件では松村生物製剤課長が「エイズに罹患の恐れあり、在庫は廃棄
しなさい」と指示しなければならないところを「不作為」し、その結果多くの人々を罹患させました。その責任で有罪が確定し
ました(11年もかかって判決)。
「いずれはお世話になる、製薬会社に損はさせられない」と松村課長は判断したのです
ーーーーーーーーーーー有識者の主張ーーーーーーーーーーーーーー
09/9/27日経で東大名誉教授西尾勝氏は政治家と公務員の関係について「内閣が官僚機構をコントロールし、公務員は
法令に基づいて厳正に行政を執行する、企画立案は首相、内閣、閣僚が中心で公務員は中立的補佐。予算の骨格は内閣
で決めるべき」とご主張です。
民主党は国家戦略局を作り政治の実権を握り、企画立案する構想です。官僚に権限を与えずに議会が企画立案決定する
。議会の決定は絶対です。
二重・三重・四重に同じ仕事を、しかも破綻前夜の現在、殆ど無用と思える業務が殆ど・・
国、地方の行政業務は痛みを伴っても縮小、廃止しなければ今の閉塞状態はどうにもならないのです
「霞ヶ関は共同経営者ではなく従業員」という認識でなければこの危機は到底乗越えられないでしょう。
自民党政権では予算配分を主計局官僚に握られていて、議員や知事が彼ら官僚の風下に立つ状況は正に異常でした。
橋下大阪府知事が「次期衆院選では霞が関の解体、再編のために一票を投じてほしい」と叫ばれていたのはご存
知の通りです。
民主党政権の行革では、官僚復権そして財務官僚に「仕分け」の先導をさせるなど大甘です。
江田憲司衆議院議員(東大法学卒。通産省。経済協力室長、橋本内閣の政務秘書官を経て、衆議院議員当選2回
)の発言から抜粋します。
「大蔵省の財政と金融の分離をすればテロをも起こす」と時の大蔵省幹部が某財界人に言ったという報道があった。
政治家が本気で改革をやるなら、はっきり言って霞が関との全面戦争になる.今後最大の課題は分権改革だ。中央
省庁の権限や組織や定員を削ぎ落として地方に移し、それに伴う霞が関解体をやらないと将来はない。
重要
なのは人事権。人事権さえ掌握したら、官僚も抵抗できないから、解体はそんなに難しくない。
課長クラスに資料を出せと言っても四の五の言って出さない。大臣が人事権を持っておらず、官僚の上司が握ってい
るからだ。その連中が出さなくていいと言うのだから、大臣を無視するわけだ。
国や政治家の役割は、一つの「官製幸福観」というものを国民に押しつけるのではなく、それぞれ異なる「幸福」や
「夢」を実現するため、国民に対し、あたかも山の頂上に登るのに、いくつもの登り口、ルートがあるように、色々
な選択肢、たどるべきいくつもの道を提供することだ・・・・・以上抜粋
(橋本首相が火達磨覚悟で改革すると言われ、結局は看板を書換えて終わりました。役所を敵に回すことができない議員
や政党では改革は無理でしょう)
民主党のマニフェストでは100名を役所に投入するとの事、これについて霞ヶ関官僚の47%は「支持でき
ない、中長期的視点で政策を立案できなくなる」と考えています。09.9.5のラジオによれば、これに対する官僚側
の考え方は「当面は入省してきた議員を調略、できなければ不服従を貫く」とのことです。
立法府としては官僚側にこうした姿勢もある事を考慮して、人事権を持つ法制度を持つべきでしょう。
彼ら官僚の立案・長期構想の殆どは「事業を行うこと」それ自体が自己目的化していて、計画そのものの合理性
が疑わしい例が殆どです。
しかも中長期を慮る能力にも疑問があります。今、医師不足は大変深刻です。平成9年厚生官僚は「医療費が増
大の一途であり、このままいけば大変なことになる、医学部定員を削減して医師数を減らすしかない」と判断
をして「そのように判断するに足る資料」を閣議に提案し、閣議決定にこぎつけたのが原因です。
堀江ふかし慶應義塾大学法学部名誉教授、岡沢のりお早稲田大学社会科学部教授 共著の「現代政治学」では、
今日の行政は経済計画、社会保障、生活環境、資源エネルギーといった多くの複雑な 問題に対し、立案し、調整し、統合
していかなくてはならない。「議会は法律案を形式的に承認していく機関」に変質していく恐れすら生ずるようになった。
多くの場合官僚によって立案され、政府提出案の形で議会の審議にかけられる。 審議の過程に於いても資料の提出ヒ
ヤリング等を通して官僚は重要な役割りを果たす。
この ようにしてセクショナリズムや繁文辱礼といった官僚制の逆機能現象も目
立つように なってきた。立法部が行政部に対する統制をいかにして回復するかということが議会政治の根本問題として
登場するのである。・・以上転載
民主党は脱官僚、政治主導を掲げています。しかし各省庁の官僚は自民党時代と同じ顔ぶれです。政策通の議員も極く少数ですから
官僚によるレクチャーや洗脳を甘受するかも知れません。行政刷新会議による大胆な取捨選択、議員は辻立ちよりも政策の研究を
、孫文の主張する国民が干渉できるシステム(例えば参政員制度)を創る事、行政情報のネット化などが必要です
海野元参議院議員はブログで「財政の専門家から聞いた話しによれば、何か事業をやらないと組織の運営経費が生ま
れない。つまりは、給料が捻出されない。だから、何でも良いから理屈をつけて事業や工事を実施するとい
う。その一つであり、最近の例が東京地下鉄副都心線の事業費に数百億円にも及ぶ道路特定財源からの支出
があるという話だ」事実なら何という不条理でしょう。
08/6/3 参議院財政金融委員会において、民主党議員が八ッ場ダムについて質問しています。堤防が全ての箇所で一挙
に崩壊するとするあり得ない推測の下、当初2,100億の計画が年と共に膨らみ、4,553億円、利息を含め、8,576億円
にものぼるといわれています。
近くの町村に来る観光客の予想も700万人という過大なもの、しかし地元
の人は「泊まる人というのは十数万人程度では」との話です。効果算定も恣意的で、理解不能の「費用便益分析」で煙
に巻いています。
しかも砒素情報を隠し、露見後は「薄まるから無害」とは何たる事でしょう。
09/9/20民主党政権は事業中止を決定、今後は住民への補償が焦点になった事は当然です
09/10/2の日経では、計画・着工中の143個所のダム事業の内、八割以上の事業で投資に
対する治水などの政策効果が、中止した八ツ場ダムより低い事が分かったとの事です。治水、環境面でのメリット
を算定する「費用便益分析」とはまさに官僚が幾らでも匙加
減のできる算式で、費用対効果が3.4倍以上と判定できるダムはたったの14事業とのことです。
国内の完成ダムは小規模を除いて なんと2700個所もあり、永久的に必要となる泥砂浚渫費用も巨額です。さらに
魚類や植生ほか環境へ与えた影響は計り知れません。
国交省地方整備局が道路事業を正当化するためにミュージカル「みちぶしん」「ふるさときゃらばん」
を5億余円をかけて上演をし問題になった事がありました。
全ての自治体では「000祭り」などと称して常にイベントや催し物を企画します、参加者を増やすために歌手などを
招いたり、子供に無料のグッズを配布したり、日本全国では途方もない巨額が無駄になつているでしょう。勿論天下りのいるイベント
業者との癒着も・・
横浜市は開港150年を記念して「開国博Y150」を開きましたが、目標500万人に対して入場者124万人で、
いわゆる「笛吹けども踊らず」でした。
自治体の企画課は「与えられた予算を使って何らかのアクション
を創案しなければ」ならないのです。「アクション」イコール「予算の無駄使い」の場合が多いと言ってもいいでしょう。
巨費を投じて作られ、両陛下も参列された淡路島の戦没学徒慰霊碑、まるで山上のお城のようです。今は廃墟で
心霊スポットになっています。為政者の欲望の為に両陛下や海上自衛隊、戦没学徒がダシにされたと言えば言い過ぎでしょうか。
神戸、中部国際、静岡の各空港も大きくコジツケた需要予測を下に作られました。静岡空港の利用客の現状は予測のたった
1/3です。
郵政省など全国に120もの保養施設を作りましたが119施設が赤字でした。
「シラス台地だから水は貯まらない」
との声を無視し、600億円を掛けて完成した大蘇ダムは空のまま
同じく600億円かけた「私のしごと館」は連年10億
からの赤字、今は民間に委託中、グリンピアでは3750億円の赤字。
十分に使用できる施設でも「危険性が出てきた」
と恣意的な数値を出して破壊し、再建しています
愛知県では350億掛け、新幹線に26キロ並行して貨物線。3500億掛けた苫
小牧の850ヘクタールの産業用地も無駄に、1千億円投資した吉備高原都市は今人口二千人、一人に5千万円投資していることになります。
誇大妄想的な計画を、種々の再評価をすることなく推し進め、ゴーストタウン化さえささやかれているのです
「中長期的視点」などと言っても、「田んぼに入ったこともない者が机上で議論し決めるのは許されない」と農業
者にいわしめる農政の失敗、多くの山を針葉樹林に変え、生態系を壊し、治山治水に失敗した一斉造林、三転四転する畜産
指導、年金行政の恐るべき怠慢と犯罪、経済、商工、教育政策の失敗、医療制度の失敗、過疎地域対策措置法 、テクノポリス法、シ
ーガイヤで知られるリゾート法、頭脳立地法、海外ロングステイ構想も失敗・・・
全国に数千個所あるいはそれ以上、数十億から数百億円を投じたハコモノがあります、多くは稼働率が悪く、天下り用もかなり
あります。
この半世紀こうして押せ押せで借金を膨らませてきたのです。
しかし事業を誘った事を自慢する議員もいます
国、地方公務員は、いつかは天下る企業への業績確保、そ
して議員に恩を売っておけば損はないと次々と新構想を提案し、詳細情報を握る官僚側が恣意的数字を掲げながら終始リードし
て「政策決定に誘導」、
さらに公聴会、アセスメント等で国民の意思を聞くフリをし、委員会そして国会と、シナリオ
通りに運んできたのです
ここ20-30年ばかりの政治は特定企業と議員、官僚の利益に与し、歴史遺産や自然を破壊し、社会を二層化し
先進国の最下位に落とし込むのに手を貸したのみと批評されても仕方がありません。
もっとも官僚の机上構想の失敗は今に始まったことではありません。戦国末期に小早川隆景によって築かれた広島の三原城
(濠に瀬戸内海の水を引き込んだ水城で水軍用)は20万坪以上、隅櫓32、城門14、徳川400年も経て世界遺産
の価値さえあった豪壮な城でしたが、ドロが溜まる等という理由を付けられて明治27年山陽鉄道建設の為に徹底的
に破壊されほぼ消滅しました。
今は一割にも満たない極く僅かな遺構が残るのみです、
1兆円掛けても復元は無理でしょう。満州国建国やドミニカ移民も役所の机上の構想の誤りでした。
(尤も他の国でも役人が机上で構想し、ゴリ押しし、失敗する事がかなりあるようです)
ぜひ「無駄な公共事業100」としてネット検索をなさって下さい。とんでもない需要予測などをデ
ッチ上げて、兆の付く無駄が連年続いていて気分が悪くなります。
「住民の声だ」は実は「極く一部の住民」に過ぎなかったのでしょう。投票で議員に自由委任する政治制度は、主
権は議員にあるのです(実態は官僚が主導)。
主権在民はシンボルであり、実態は主権在官であって、公僕どころか「国民
を睥睨する存在」なのは明らかです
総務省でさえ、公立医療機関の職員の賃金が、民間のそれの1.6倍、ほか
七職種の給与が民間より1.6倍から2.1倍高いと発表しています。全ての国・地方公務員の賃金もこれらと同様に民間より
高いことは主権在官の一つの証明でしょう
現在の政治の体制で潤っておられる二割ばかりの人々は、改革イコール悪との価値観に固執しておられるのは仕方がありません
国民に選挙と請願以外に、史上初めての国民の権力的な機会を提唱する参政員制度は、体制側から見れば危険思想と見られて
いるようです。
この参政員制度に反対する為に総務省官僚とおぼしき数名の人物はヤフーの掲示板において「大衆は愚なり」
「セキュリティーに問題あり」「巨額の費用が掛かる」「入力の場でプライバシーが守れない」
などなどの反論、さらに罵詈雑言の嵐、挙句に私の本名迄書き込むネチケット違反、ネットストーカー行為を半年以上も続け
られました
中野雅至兵庫県立大准教授は「日本はフランスのような政官融合型のシステムから、
英国のような政官分離型に変える過渡期だ、そのためには政策に強い政治家を」と言われます。
日本では議員は多忙、官僚に企画立案をほぼ一任してきた結果、全ての法、制度が官僚など行政の権益を増やすことになってしま
いました。
そして 役人天国、先進国最低の地位、封建時代と同じ社会の二層化です。
森永卓郎氏は「「かわいい、かわいい」と甘やかしていくと、犬も猫も横暴になって、主人を主人と思わな
くなってくるのと同じ。天下り問題で抵抗したら、有無をいわせず閑職に飛ばして、復活の芽さえ
も与えないようにする。そうした生贄を出して、「お前たちも、ああなってもいいのか」と全役人に見せつけ
るようにしなければ」と言っておられます。
行政は議会の作った法、構想、指示を忠実に実行する、そして情報のweb化と、許認可
ほか管理業務のみ、裁量権を抑え、判断が難しい案件は党に判断を仰ぐなど行政の本分に戻るべきです。
その為にも議員諸侯は政策通に、そして民意を汲みあげる制度が用意されなければなりません
これらについては官僚の抵抗は激烈でしょう。霞ヶ関は過去の議員からの不条理な要求の暴露、そして自治労の民主党支持を止め
る等と脅すかも知れません、
しかし民主党が真に日本を憂うのなら、脅しに屈せず、三権分立の精神と公正を貫かなければ
ならないはずです(しかし次々と官僚を重用する状況では、既に屈したのかという疑念を持たざるを得ません)
霞ヶ関と雖も大衆の意志には抵抗することはできません。有効な行政改革には議員のスキルアップのほかに大規模な世論調査
そして、
一般国民投票、参政員制度が必要になるはずです
民主党は100名の議員を全省庁に投入し「構想の意義を検証する」等お目付け役をするようですが、そうではなく、
企画、構想そのものを役所では禁止すべきで、企画構想は「公募して世論調査で順位を決める」など革新的な手法を
考えるべきでしょう。
そして「選ばれた構想の成文化」は永田町の専権事項にすべきでしょう
更には議会議決ではなく「最終判断は国民・
住民の意思」という制度も考慮すべきです。
上のような大修正は元官僚や政治畑の人々が七割ばかりも占める議会では多分無理でしょう。国民の常識
が参加する「参政員制度」が必要となるはずです。
ーーーーーーーーーー選挙は賞味期限が尽きた制度ーーーーーーーーーー
外見、経歴、言葉などで人の真実は分かるものでしょうか
政治家の犯罪は田中金丸他まさに無数にあります。人を職歴や、外見容貌、弁舌、収入などで検証でき
るとする「選挙制度」が、いかにいい加減な制度であるかの証左です。
厚生省のトップ、岡光序治厚生事務次官は老人ホームへの補助金交付汚職事件で懲役二年、追徴金約6369万円の
実刑...。防衛省のトップ事務次官であり倫理面の最高責任者であった守屋武昌は収賄と偽証で懲役2年6月、追徴
金約1250万円・・
元検事長・公安調査庁長官、緒方重威は1億3000万円の詐欺で懲役2年10月、執行猶予5年...。長崎県で三男に
約1億数千万円の生命保険をかけて殺害したとして逮捕された容疑者(75)は、保護司を23年間も務め、法
務大臣から表彰を受けたこともある地元の“名士”です、違法駐車などを取り締まる地域交通安全活動推進委員
としても14年間活動しました。
まさに信頼を絵に描いたような方々です、もし彼等が立候補していたら当然当選もありえたでしょう。
下の文章は二年前07.12.25にヤフーの掲示板の政治ー政界と政治活動ー全般ー 「一括一任間接政治の危険性 」
に筆者が投稿していた文章です。それから二年後の今、政治は全く同じ状況とは 驚きです
「・・しかも地方活性化、選挙を有利にという思いから財政健全化などどこ吹く風、バラ撒き政治が復活し、政治
は20年後戻りです。30兆近い借金増も当然のような顔です。ハイパーインフレに向けてもはやブレーキの
壊れたバスという感じがします。 議員は辞めれば責任は無くなります、しかし国民は子々孫々まで債務を
担うのです」
09/7/16、総裁選前倒しを視野に自民党の中川秀直元幹事長らは、両院議員総会開催に必要な党所属国会議員の3分
の1(128人)以上の署名を集めましたが執行部から「選挙費用は出さない」という宝刀を抜かれて、署名した議員の
の多くが抜けました。 それも9年前の「加藤の乱」と同じで、政治は一向に進歩していないのです。
民主党もいつか同じ手法で議員を縛るのかも知れません。
「世襲禁止」「議員数削減」「コンビニ投票」「ネット投票」「有権者年齢引き下げ」「選挙区制度修正」ほか
政治構造の改革提案は実に多いのですが、基礎である「国民の政治参加は選挙によるのみ」はどの政党も変える
意思は全くなく聖域のようです。
政党や議員はどうやら「国民がパイの席に割込まれては困る」とお考えなのかも知れません、参政員
制度は「国民全員がパイの席に座る」というものではありません。
「選挙(一任)」そして「議案毎に委任」の二つを並存させて、国民はどちらかを選べるべきだと主張しています
上の内、「ネット投票」ですが、生体認証技術の進歩で可能性は高くなってきています。
また外国では電子選挙投票は後日の検証の為に、電子入力を紙に同時記録する方式に移行しつつあるようです。
日本の現在の選挙制度においては、即日開票に携わることで特別に有利な報酬(時間外や休日出勤等が重なって日当
が7万円近くの例も)が頂けるということで、携わられる公務員諸氏にとって、残業手当が大盤振舞いで「おいしい
稼ぎ場」となっているとの主張もあるようです。 電子投票が普及すれば、主として人件費の七百億円はかなり削減
できるでしょう。
ただ間違えてはいけないのは、電子投票も、主権を「自由委任」してしまう現在の制度のままでは、「紙」が「キー」
に変わっただけで、国民の政治意志は相変わらず、党の価値観と損得で一旦咀嚼され「議員主権」は変わりません。
議員が献金意志と役人への気兼ねで、民意から離れた選択をする事も変わりはありません。
尚ネットによ
る選挙運動については
アメリカ、イギリス、ドイツではインターネットでの選挙運動が常識です。アメリカ
、イギリス、ドイツ、カナダでは「選挙期間」そのものも存在していないのです。日本もネット選挙解禁の動きがあります
ーーーーーーーーー参政員制度と 直接政治の違いーーーーーーーー
参政員制度と直接政治との違いですが、
議案数は5-7と少ないながら、参政員は議案毎に賛否ができるという事で、直接政治と実質的には同じです。
しかし法案に直接「賛成」「反対」を入力するのであればそれは「直接政治」です。そうであれば間違いなく憲法改正
が必要です。
憲法改正となれば大変な議論と時間が必要です。
全ての賛否議論のある議案には「賛成する政党」「反対する政党」があるものです。そこで便法として、参政員は議案の
賛否の代わりに、政党が、その議案に示している姿勢を見て「政党を選ぶ(党首名)」という間接政治の形式をとります
(以前は直接間接並存政治と呼称)。
これであれば、もしも過半数の国民が「参政員制度実施に賛成」と考えた場合、議会は、
例えば「選挙法の一部改正」などという便法をとる事が可能かもしれません(為政者は憲法をイジらずにしばしば便法を用い
ています)。
尚国民のキャパシティには限界がありますから参政員制度では当面、年間に5-7のテーマに限定してテーマ毎に政党を選び
、国会の議決スペースに意思を投入します。(同じ政党名が10万票になる毎に本会議議決に一票として加算)
ーーーーーーーー一括一任の議員のみが立法する政治ーーーーーーーーーーー
民主党が政権を取ったので少しでも相互理解を深めようと霞ヶ関官僚が民主党に大接近
をしています。
しかし本心は09/8/15日経にあるように官僚の思いは「自民党」支持47%、「民主党」支持13%です。
09/7/16日経2面ではーーーー「民主党中堅議員は「役所がみんな民主党になびいている」と得意げーーーーー藤井
最高顧問はテレビ朝日で「霞ヶ関とケンカするのではないかと言われているが、それではダメだ、霞ヶ関に安心感
を与えるよう党幹部に助言しているーーーーー鳩山代表も政権交代後に役所幹部に辞表を提出させるとの方針を取
り下げたーーーーー」
09/12/6日経では、霞ヶ関の官僚機構の公務員制度改革への警戒感は急速に薄れている」言わば
「始めは脱兎の如く、終わりは処女の如し」です。
「社保庁の体質を受継ぐ組織では年金記録問題は解決できない」という野党時代の主張も、8割以上の職員を日本年金機
構に移行させます。さらに民主党政権は公務員に労働基本権を付与されます。
本件について世論調査ネットで調査中ですが、「公務員とて労働者だ、与えるのは当然」が32%。「与えるべき
ではない」が30%。「基本権ではあっても多くの縛り、規制を設けておくべき」が41%です。
7割の人々は
否定的です。おそらく以前の欧州の公務員ストを危惧されておられるのでしょう(09/10月も郵政スト)。
労働基本権(殊に争議
権・協約締結権)付与関連は政権交代のカナメです。換わりに立法府が人事や給与改定を握れなければ役人天国をどうすることも
できず、折角の政権交代も大きな意味を持たないでしょう。
議員は政党を問わず役人に遠慮しなければ仕事にならないのです。加藤元自民党幹事長は「議員は役人に遠慮せざ
るを得ない」と語り、鈴木宗男議員は「議員は役人に萎縮する」と言いました、宗男氏にしてそう感じるほど
役人の壁は厚いのです。
予算ほか重要政策を政治家主導で一元的に決め
ようという民主党の構想「国家戦略局」も、肝心の人選は役所幹部に依存(09/8/12日経)しているのです。
忙しいでしょうが政権党議員は政策研究大学院大学にも席を置いて、官僚以上の政策エキスパートになるべきでしょう。
残念ですが野口神戸大名誉教授の「念願
の政権交代も形を変えた政権タライ回しに終わる」の予言は、09/12月現在かなり現実味があります。
09/8/6渡辺喜美元行革相らが結成する「みんなの党」のマニフェストでは 7年以内の道州制導入や地方出先機関の廃止
などで国家公務員を10万人削減。JRなどの無料パス、議員宿舎、議員年金などの国会議員特権の廃止。国家公務員は給与の2割、
賞与の3割カットする。公務員の天下り、「渡り」のあっせんは即時禁止し、違反者には刑事罰を科すというもの
です。
こうした案を支持したいと考えても、他の政策例えば、年金政策はどう、経済政策はどう、世襲制はどうな
のだと聞きたくなるでしょう。そしてもし聞いたとすれば、「世襲の考え方はいま一つ」などと考える人々も出るかも
知れません。
やはり重要テーマごとに、政党を選べる「より精細に参加できる制度」こそが重要なのです
ーーーーーーーーーーーーーーー光秀の足軽ーーーーーーーーーーーーーー
さて、国民主権とは、国民が政治権力の源(拠り所)であり、政府は国民の意思により運営される機関であると
する考え方です。
即ち国民が代表者を通じて、あるいは国民投票などを通じて直接に、国家の最終的な意思
の決定を行う権力を行使すること(権力的契機)、または全国民が国家権力を究極的に根拠づけ正当化する権威
を有すること(正当性の契機)を言います。
平和主義、基本的人権、国民主権は憲法の三大原則です。
国民主権など憲法論はこれ以上取り上げませんが、国民の意思は議員を通してのみ表現できるという間接民主主
義による政治が、結局役人に牛耳られて実質破綻し、議員の信頼性が大幅に低下した今、
野口神戸大名誉教授の言われるように政権交代以上に「統治形態の変革」が必要でしょう。
今、政治の実態は霞ヶ関(光秀)が采配を持ち、国民(足軽)は采配に振り回されているのと似ています。
ーーーーーーーーーーー議員の身分・報酬ーーーーーーーーーーー
総務省地方制度調査会で提出された『諸外国の議員定数・報酬』資料です
http://www.soumu.go.jp/singi/pdf/No28_senmon_20_s1_s2_2.pdf。
■フランス
・原則として無報酬。
・人口10万人以上のところでは手当を受けることができる。
・議会が認める職務の場合、一定上限のもと必要経費について実費弁償される。
■イギリス
・ロンドン議会議員以外給与は支給されていない。
・法に基づく諸手当がある。議員活動に伴う活動経費(旅費等)が支給される。
・退職後に一部の議員には年金が支給される。
・出席手当は廃止されている。
・議員は名誉職と考えられている。
■イタリア
・出席に応じた日当を支給している(ボローニャ市、ボローニャ県)。
・当該団体の職員給与と同じく、生活給であるとされている(エミリア・ロマーニャ州)
■スウェーデン
・原則として無給であり専業職ではない。
・多くの地方議員が兼業である。
・フルタイム勤務のコミッショナーは専業職として報酬が支払われる。
・活動経費、会議出席の諸経費の補填、所得補償、会議出席に対する報酬等がある。
■韓国
無報酬の非常勤職。
議政活動費、公務旅費、会期手当が支給される。
■ドイツ
・議員活動によって収入に損失を受けた場合には補償される。
・少額の報酬(月額)と出席手当が支給される。
※議員は、一般的に名誉職と地方自治法に規定されている。
※通常、議会は夕刻から開催される。
-----------------------------------------------------以上転載
■コスタリカ
・地元と国会議員の癒着を防ぐ目的で同一選挙区からの連続立候補を禁止
・一院制、57名の議員により構成。議員の任期は4年で、連続再選は禁止
なお、任期制限はコスタリカ、メキシコ、エクアドル、フィリピンが国家単位で採用している
アメリカではコロラド、オクラホマ、カリフォルニア、メーン等、州レベル、連邦レベルを合わせると32の
州が何らかの形で任期制限を採用していますが功罪相半ばでさらに議論を要します。
他に本業がなく、議員に当選することが完全就職という立場の場合、献金や役人へ気遣いしなければな
らなくなります。舛添大臣や橋下知事が霞ヶ関にかなり強気に対処しているのは「辞めても食っていけ
るんだ」というところがあるのかも知れません
スウェーデンでは国政は外交・防衛・経済など必要最小限のみ、地方政治は仕事を持っている職業人による
ボランティア的代表によりそれぞれの職業に従事する人たちの声を政治に反映させます。
スエーデンでは現場の声、市民の声などアマチュアの精神を大切にする『素人の政治』です。
政党に投票する比例代表選挙なので、現場の人(福祉、教育、医療などの現場代表、高齢者、障害者
、女性、学生、移民代表など) が簡単に比例代表の政治家になります。
「役人が多くの権限を持ちす
ぎることは、民主主義に反する、議員同士が議論して、政治方向を決めることがあたりまえになって
います。(日本のように政官関係者が議会の過半数を占めている状況は、まさに民主主義に反していると言えるでしょう)
ーーーーーーーーーーー国の主権者はーーーーーーーーーー
08/1/4日経に堺屋太一氏の論文が大きなスペースで出ています。要約ですが、
日本が2位から18位への衰退の原因として、「省益あって国益なし」ほか「官僚倫理の退廃」「官僚機構の仲間
共同体化」「罰則反省なしの無責任体制」「効率思想の欠如」そして「幹部官僚の政治家回遊癖」を上げておられます。
氏は慧眼です。なぜ役人が政治家を回遊するのか、真の目的は役人天国を崩す動きの監視です。
戦後、政治の体制は殆どゼロから構築してきました、多分30年ばかりで基本的な姿が出来たと思われます。
家で言えば、基礎工事、棟上、屋根、壁、内装、家具搬入までの全てがその30年で終わったと考えて
もいいのではないでしょうか。
日本の政治の現状は、全てが終わっているのに、「この照明は少し明るいものに取り替え
よう」等と色々と理屈を付けながら、職人達が無理矢理に仕事を作り出している状況と思います。
思いきってニュージ
ーランドのように環境や福利の為に「本当に必要な仕事のみ」にすることが重要です。
民主党の「業務仕分け」は改善の
余地がある乍らも国民の常識に近い仕分け人が決め、直接政治の類型です。政治判断でそれが覆されるようでは国民の信
頼を損なうでしょうし「三千を越す業務全てを仕分けすべし」と言う声にも応えるべきでしょう
官僚は自分達が作った書類を後生大事に抱えて動き回る議員諸侯を、陰で「お運びさん」と呼ぶそうです。
「お運びさん」とは日本旅館における配膳係りの女性のことです。「我々は難しい試験を通ってきているんだ、議員
は次の選挙で落ちれば只の人に過ぎない」という優越感に基いているようです。さらに、官僚出身の多くの議員(70名ばかり)が
彼等官僚の擁護者です。
かくて常勤者は数名、有給の非常勤理事が10数名などという特殊法人・公益法人・外郭企
業などというタカリ組織が無数に生まれ、巨額の税金を食っているのはご存知の通りです。(カギを開閉するだけの
仕事で年俸千万円ばかり、雇用している人には年俸300万円等という不条理は全国にあるのです)
政党や議員が「自由委任」という大義名分の下でこうした不条理に真剣に取組まない事が日本の凋落の一因であり国民
の期待を裏切っていることは誠に残念です。
法は国民の行動の全てを規制し、あらゆる価値の基盤であること
は独裁国家を見れば分かります。法が国民の意思を問われる事なく、専ら議会内部で決められる、これが国民の政治不信、無力
感、不幸感につながっているのです。
例えば、死刑廃止論者の千葉景子議員が法相に就任し、同じく死刑廃止論者の亀井静香郵政改革金融大臣が、死刑廃止の法
制化に向けて動く可能性があります(約四割の議員が廃止賛成とのこと)。
鳩山邦夫前法務相が「人を何人も殺した人間が死刑執行されずに生きているというのは、あまりにドライ
な考え方で、日本人には理解できないんじゃないでしょうか」と言われました、すぐに死刑廃止派の亀井議員が「法相の資
格もなければ、人間の資格もない」と激しく非難しています。しかしどうやら廃止派に勢いがあるようです。
死刑存廃
、安楽死是非、体罰是非、労働移民受入是非、臓器移植、食糧自給・・・その他「正解が不明であり、専ら国民の多数派
の価値観に基づいた法律がいいと考えられるテーマ」は極めて多いのです。「自由委任」で議員にお任せであっては
ならないのです。
09/8/22ニュージーランドでは「親の体罰禁止
法」の是非を問う市民主導の国民投票が行なわれました(投票率54%)、体罰容認が87%で議会と反対です。
(但し市民主導国民投票には法的拘束力がない為今後に問題)
世界の国々における人々の幸福感のランクではスイスが上位の常連です。「我々が国の主人公であり立法に参加して
いる」という満足感によるものと思われます。
イタリア、フランス、スイスなどではしばしば国民の意思で立法されています(米国は州民投票)。
本書では議会の議決に参加する参政員制度を提唱していますが、国運に関わる重大な選択(例えば
安保解消など)については参政員制度ではなく、国民投票によつて国民全員の意志が問われなければならないのは当然です
ーーーーーーーーーーーーーーー参政員制度とはーーーーーーーーーーーーーーーーー
本書の参政員制度は、政府が出してくる「参政議案」(これは国民投票よりは下位で、外交テーマやプライバ
シー関連、国家機密そして極めて技術的なテーマ等を除いた重要な政治テーマ)について、参政員登録をした人はテ
ーマ毎(年5-7のテーマ)に支持する政党を選び、ATM等で国会の議決の参政員スペースに入力します(2ヶ月に一つ程度のテーマ)、
ある政党への参政員の支持票が10万票になる毎に、国会の議決に、1票として議員票として加算します(これは10万票1票案)。
例えばある重要テーマについて、A党を支持する参政員票が850万票、B党を支持する参政員票が640万票になっ
たとしますと、国会議決に、議員の投票とは別に、A党の票として85票、B党の票として64票を加算する訳です(議員
はこれまで同様一人一票)。
尚10万票という数字はあくまで仮定のもので、例えば選挙区当選議員の平均得票数にする
などと詰める必要があるのは当然です。尚権利の二重行使が出来ないように「参政員登録」の際、選挙権は閉鎖されます。
もう一つの方式として、
「参政員は重要なテーマ毎に政党を選択して一票を国会議決に投じる、一方政治向きの事は議員に任せておきたい人
(多分国民の半数)の意志は議員が選挙区当選議員の平均得票票数約10万票を行使するシステム」があります。
この場合には議員は一人10万票を行使しますから総計約4800万票を行使すると想定しています、一方参政員登録者は推定
1500万人で、各自1票を行使するので1500万票程度と想定しています。
「参政員制度」についての疑問はサイトのQ&Aをご覧下さい(参政員制度Q&Aと検索)
http://www2.osk.3web.ne.jp/~mine2/Q&A!.html
ーーーーーーーーーー参政員制度の必然性ーーーーーーーーーーー
「多忙だし、政治は難しいから議員に任せておきたい」と考える人々は国民の半数はおられるでしょう。勿論そうお考え
の方はこれまで通り選挙で議員を選び、議員が主権を代行します
しかし高教育と情報技術が進歩した今の世、「パッケージされた公約の中から政党を選び、一括一任するという粗い制度
では満足できない、また責任の取られないマニフェストを比較しても大きな意味はない」と考える人々も少なくはないでしょう。
そうした人々のために、政治の体制はより精細に、頻繁に国民が参加できる制度が検討されなければなりません。
(尚、参政員制度が実現しても、当面は「参政議案」は政府が出してくるのは仕方がありません。政府の出してくるテーマで
は改革は無理だという声が多くなれば、スイスのイニシアティヴ(発議)のように、NGO等もテーマの提案や選定に参加でき
るようになるでしょう、サイトのQ&Aの中で具体的提案をしています)。
テーマの選出についての議論も重要ですが、取り合えず基本になる参政員制度の実現が必要です。
さて、「国民の政治参加の機会を増やすべきだ」は多くの改革論の結論ですが、ハウツーまで踏込んだものはこれまでありません。
「国民は目先きの事しか判断できず論理的思考ができないしマスコミに扇動される、参加の機会を増やすと誤った選択をしか
ねない」という衆愚論の根強い抵抗があります
しかし郵政民営化、食糧自給をはじめとして「賛否の議論のあるテーマ」というものは多くは正解は不明ですし、先進国最悪の現状で、
国民の八割が政治不信なのは、粗雑な選挙制度と、献金と霞ヶ関に引きずられた議会の選択が正解でなかったのかも知れません。
09年の衆院選挙のかなり前から「このまま選挙すれば与党は大敗だ」との世論調査にも関わらず、自民党は
「選挙は水モノ、やってみなければ分からない、麻生首相を推し立てて一丸となって戦おう」と意思を統一して選挙に突入し
、予想通りの大敗でした。負けるべくして負けた・・・国民と違って自民党は全く空気を読めなかったのです・・・どうして国
民を愚と言えるでしょうか。
しかも日本の政治の幼稚さは驚くばかりです。選挙で幾ら公約を述べていても、党議拘束で議員個人の自由な意志などどこにも表
現できません
「与党議員は全員賛成、野党議員は全員反対などは異常である」という認識こそが正常なのです。これでは議員は「採決要員」
でしかありません。説得や協力の依頼までは行っても、強制的とも言える影響力を行使することは憲法
の精神に反しています。
みの・もんたさん司会のクイズ・ミリオネアをご存知かと思います。挑戦者が行詰った場合、会場の人々の考えの「最も多い
回答」が常にとびきりの正解率を示しています。
会場の人々には、リーダーはありませんし、相談しあう事もありません。全く
自由に回答しています。ここには民主主義の基本を示唆するものがあります。日本の民度は教養以外でもかなりのレベルに達してい
ます。阪神大震災の時「商店やスーパー、コンビニを襲う暴徒が皆無だった」事は世界中に驚異と賞賛を与えたものです。
以下ネットの情報をご覧下さい
「近年のスイスの公共選択論の議論においては、国民の権利に対して個人の政策に対
する選好貫徹の機能が期 待されているといえる。それを明確に示しているのが、FeldとKirchgassnerとSavioz である。
まずFeldとKirchgassner は、国レベルの政治体制の違いに注目して、代表民主制と直接民主制とを対置する。つまり、
直接民主主義的制度をより多く採用している国や州 とそうではない国や州を比較し、効率性の観点から、 つまり、
分業として代表に政策決定を委ねることと代表を監視する費用との関係から考察して、どちらが優れているのかを評価し
さらにどちらがより個人の選好を貫徹させるのに成功しているかを比較するという視点を提示するのである。
さらに
、公共部門の効率性、投票者叛乱との関係、個々の国民投票に対する投票者の直接的影響を考察している。また彼らは
Saviozを加えた論文の中で、同様の比較をしながら、さらに細かく分析を行っている。
彼らは、直接民主主義的制度を
組み込んだ制度の方が、明らかに効率の点で優位が認められ、エリートに過度の信頼を置いた上での批判は、エリート
自体の利害の隠蔽を見過ごすものであるとする 」
親が携帯電話の料金を払っている間は、子供に金銭感覚は生まれません。「半分はあなたが払いなさい」と言えば、どう
なるでしょうか。当然子供は成長します
本書の参政員制度は、国民投票のように「全員の参加」を求めておりません。例えればバスに乗せて貰うか、マイカーで行く
かは各自の自由であるべきです。政治的な民度の向上は、「一括一任システム」と、「議案毎に政党を選べる」二つのシステ
ムが存在し、「どちらにしようか」と考える事から始まるのではないでしょうか
もしも多数者の選択が間違ったとすれば、多数者は当然に修正の方向に動くでしょう(その為には情報が偏らない事が大切です)
マスコミの扇動についてですが、人の価値観、信条は変わらないものです、0教新聞や0旗を信奉されている人は多数
おられます。もしもそうでない人々にそうした新聞を無料で配付したとして、読まれるとお考えでしょうか、
もしも読まれたとして、「そうだ、そうだ」と思われ購読を考えられるでしょうか。多分それはありえないでしょう。
0日新聞、0売新聞の場合も同じです。高教育、ネットの時代の日本では「国民は愚、扇動される」は、もはや通用しない
と考えるべきではないでしょうか、人はそれぞれの信条傾向に似合った情報のみを取捨選択されるでしょう。
(官僚が彼らの利益のために偏った情報のみを出す場合は、国民も議員も同時に騙され、誤った結論を導きます、官僚が恣意的に
偏った行政情報を出すのは重大な犯罪です。そうしたことを防ぐ為にも行政情報は全てネット化されるべきなのです(国防機密、プラ
イバシーなどを除く)
大手マスコミも現体制内部でいい席を占めています、それは彼らの俸給の高さからも分かります。この為、できれば今の
体制は変えたくはありません。そこで世論操作のために偏向した報道を流す場合があります
例えば「八ツ場ダムの中止は困る」という住民が実は自民党系の町議会議員であ
ったことが分かり、さらにこの八ッ場ダムの建設に関わっている7つの公益法人と57の民間企業には、そのすべてに
国交省から176人もが天下り(09/9/16「日刊ゲンダイ)が、また事業の基本方針を決定した検討委員会も、殆ど国交省の天下り
だったなどという文章はあまり出ず、大手マスコミは町議員の苦言のみを報道しました。
裏の真実を再放送しなければ「世論操作」のそしりを免れないでしょう。
大手マスコミにとつて例えば「原発安全広告」などを発注してくれる官庁は上得意です。さらに政府の審議会などにも参
加させて頂く等かなり深い繋がりがあります。大手マスコミが偏った報道をするのは自らの価値を貶めるものです。
そこで「先ず教育の正常化、マスコミの正常化、政治改革はそれから」という主張があります。しかし、教育そしてマスコミが
「どの時点で十分」だという規範、基準がない以上、鶏と卵の論争ではないでしょうか
司法制度は刑法を理解しない一般国民を判決に参加させるという歴史的な前進をしました。一昔前には到底考え
られなかった画期的、歴史的な制度です。国民への信頼が基盤にあつたと言えるでしょう。
しかし刑事事件の刑期の判断などより、立法や行政の不法、不条理等についてこそ国民の常識と正義感が参加、決定で
きるべきなのです
2009/06/17付 西日本新聞朝刊社説ですーーーーー日本世論調査会が行った国民の「政治意識」に関する調査調査によ
ると、今の政治に「全く満足していない」「あまり満足していない」が計83%に上った、政治家に関しては76%
が「信頼していない」と答え、「大いに信頼している」のは、100人に1人もいない。この調査結果を見る限り、
政治は国民に愛想を尽かされ、国民の政治に対する不満、不信が危機的レベルに高まっている、と言わざるを得ない」
と書いています。
ーーーーーーーーーーー国民は愚なのかーーーーーーーーーーー
09/1/12日読売新聞では総額2兆円の定額給付金について、「支給を取りやめて、雇用や社会保障など、ほかの目的
に使うべきだ」との意見に賛成と答えた人は78%に達し、支給に賛成する意見は17%に過ぎなかったーーーとあ
ります。
しかし「賢い人々?」はバラ撒きを強行しました。国民が賢明だったのか、議員が賢明だったのか、何れ総括されるでしょう。
また、08年自民党総裁選挙では地方票を含めて500名を超える議員他諸賢の7割が麻生氏を推挙したことは事実です。しか
し一年を経ずに国民の支持率は2割を割り麻生内閣は一年の寿命でした。09/10/19の日経世論調査の政治家支持率では、鳩山
首相27%、岡田外相12%、舛添前厚生労働相10%、石破政調会長6%、谷垣自民党総裁5%です。自民党議員の6割が支持
された谷垣氏ですが、国民の目はかなり厳しいようです。500諸賢の判断力に疑問を呈されても当然です
07/12/10のNHKテレビでは僅かの期間、年金を掛けていなかったために80歳になっても「空き缶拾い」で生きていか
なくてはならない夫婦が出ていました。ご覧になられましたでしょうか。
「年金を半分の期間しか掛けていない場合には、通常の半分を支給し、1/3の期間しか 掛けられなかった場合には
1/3の年金を支給する」というのが国民 の常識ではないのでしょうか。
この80歳夫婦のように「国の制度は詐欺では」と思う高齢で年金ゼロの人々は なんと 40万人以上もおられる
との事です。
国家公務員への報酬の僅か1/250の金額で こうした40万人すべての方に、月35000円ずつ支給することができるのです。
放送の最後に「国民を大切にしない国に未来はない」という意味の論評をされる方がおられました。選挙制度は主権
在官の制度であって、主権在民ーー国民を大切に思う制度ではありません。
2007/8/28日経一面、「ネットと文明」未完の羅針盤では以下のような文を載せています。
映画の祭典「アカデミー賞の8部門全てを予想適中」させた集団がある、インターネット上の仮想市場の投資家2万数千
人だ、受賞しそうな候補作や監督を自分の好き嫌いでなく、客観的に周囲の意見や報道を参考に予想、プロの映画評論
家が予想を外したのと対照的な結果に、国際金融情報センター審議役の山口宏氏は「一般人の予測も大量に集めれば専
門家より精度が高まる」と指摘する。
ーーーお分かりでしょうか。政治の失敗は「大衆の愚」ではなく、「選挙では人物が見抜けない」、そして「議員が献
金意思と役人に懇親する」結果なのです。
本書で提唱している参政員制度では、参政員登録のために、印鑑証明を添付して申請しなければなりません(登録と同時
に選挙権は封鎖されます)。
参政権は個人の大きな権利ですから、安易に登録できるのではなく、厳格さとそれなり
のモチベーションを要求しているのです。
参政員登録に際して、これをステータスとすべく一定のテストをすべきだという主張がありましたが、選挙に立候補する
方々にそうした関門が設けられる迄は無理でしょう。
ーーーーーーーーーーーー議員の体質ーーーーーーーーーーーーー
さて、議員の最大の目標は日本全体を良くすることです。しかし元衆院議員城内みのる氏は以下のように言っておられ
ます。
「日本には本当の民主主義などないのである。見せかけだけの民主主義で、国会のやりとりは出来レースなので
ある。低次元の足のひっぱりあいばかりだ。鯛焼きを「頭から食べるべきかしっぽから食べるべきか」というレベルの
議論ばかりしている。市民の声、国民の声など国会に届いているとは到底言えない。国家の根幹にかかわることは
実は密室でたった数名の談合で決められることが多い」。
議員は多忙なのです。委員会、部会、研究会、勉強会、役人のレクチャー、法案審査、地元の役所や団体の幹
部に対応し、霞ヶ関との人脈つくりに精を出し、大勢の秘書を監督管理し、旗本の県会市会議員に秘書派遣他気遣いし
、各種の会合に顔を出し、国会報告や議員事務所経営に頭をひねる・・・
良心的な議員は票につながらない事にも時間を使いますが、現実には亀井静香議員(現金融郵政担当相)が次のように言われています。
「委員会に出る前の僅かな時間に議案資料に目を通すようなことでどうなるんだ」
そして委員会議事録を見ればお分かり
ですが、発言議員は極く少数、殆どの議員は席を暖めておられるのみです・・。党議拘束がかかっていますから本会議
でも「採決要員」として指示に従っていればそれでいいのです。
青木参議院議長は「議員の頭の9割は金と地盤のことだ」と言われました。議員は次の選挙で落ちれば只の人になりま
す。大勢の秘書の再就職の世話、退職金の心配もしなければなりません。(世襲志向の原因の一つでもあります)
本当のところは「票に繋がるのかどうか、多額の毎月の出費をどう凌いでいくか」が重要なのです。
票に繋がらない政策の詳細を考察するヒマなど殆どありません・・そこで役人に丸投げしたのです、
役人が自らの都合のいいように国を作ってきたのは当然です。民主党政権は、官僚の国会答弁を禁止しました。議員
は、豊かな一般常識と、所属委員会のテーマについて官僚に負けない程の勉強こそ大切です、
しかし小沢氏は、そんな事
よりも日に50回の駅立ちが大切だとご主張です、政策は上層の決定に従っていればいいとお考えのようです。
少数に権力がある体制は極めて危険であるのは歴史の示すところです。
ーーーーーーーーーーーーーーー献金ーーーーーーーーーーーーー
政府の関係者にカネを交付すれば賄賂、しかし政党に献金することは、日本では刑罰上、違法では
ないとされています。
しかし、実態は政権党への巨額の献金は、見返りを期待しての「賄賂」にほかありません、
英与党・労働党が過去4年間にわたり、宅地開発業者から3人の別人名義で1億3400万円に上る献金を受け取っていた
事で同党への批判が高まり党書記長は引責辞任しました。
アメリカ経済界からの共和党への政治献金は四億四七〇〇万ドルと言われています、
政党や政治家への献金は正当だという考え方はありますが、全ての世論調査で、「禁止すべし」が圧倒的です。
献金を受けとつた政党が国民の意思をないがしろにする可能性は否定できません、少数者が権力を握るところには必
ず篭絡が入り込みます、こうしたことは民主主義の形骸化をもたらします。
日本のマスコミ朝日、毎日等は政治献金を廃止すべきという立場であり、日経も「自由経済体制を守るという論理は
とっくに根拠薄弱になった」「経団連会長も最終的には政治献金をやめるべきだと述べた」
「政治献金のかなりの部分が結局、飲み食いや冠婚葬祭に消えてしまう恐れがある。政党が何に使うか確かめないで
安易に企業が献金に応じるのはどうみてもおかしい」などで、献金を肯定する論理は殆ど存在していません。
献金は結局のところ、政府の政策に業界への見返りを期待しての賄賂なのです。強烈な反対論があった諫早干拓事業
では某ゼネコンが3億円余を自民党長崎県連に献金しています。
公共工事に支配的地位を有する政権党に献金して公共事業を受注するという「見返り」を期待又は、その「お礼」と
して献金しているのが実態である以上、政党が献金を肯定しているのであれば、政権交代があったとしても、政治は
何ら変わらない可能性があるのです。
企業や団体(政治団体も含め)の献金は禁止、しかし個人献金は容認されるべき
だという主張があります。
これも企業が社員に「000氏に献金して貰いたい」と別途に支給しますからザルに近いと
言えるでしょう。
そもそも日本の議員は諸外国が驚くほど高額の歳費他諸手当があるのです。議員になれば献金は受
けられないとするのが正解でしょう。(議員はHPによる啓発、報告、相談をメーンとして、それ以外、例えば冠婚葬祭
への関与、私設秘書の雇用、暑中見舞いや国会報告のようなものまでも一切禁止という規約を設けて、「正規の報酬以
外の献金など毛頭必要がない」という財務体質を目指すべきでしょう)。
尚そうした厳しい規約が作られたとしても、議員が官僚に上げ膳据え膳のように扱われるのは殆ど変わらないはずですから
、議員が彼ら官僚にとって不利益になるアクションは難しいでしょう
参政員制度のように、献金組織や役人に遠慮する必要のない一般国民の意思が政治決定に関わることこそが真の政治改
革になるのです
ーーーーーーーーーーーーー選挙制度の危うさーーーーーーーーーー
さて、選挙では「必ず成果を上げるので自分に任せて欲しい、自分ならできる」という趣旨の自己推薦が常識です。
当選したいというモチベーションは高くても、肝心の本音、資質能力は検証されていません。そうしたことで問題はな
いのでしょうか。公約もコピーライターがいて、相場さえあると言われています。公約、容貌風采、弁舌、履歴、知名
度、握手などが選挙民の選択資料であるとすれば選挙制度は危うい制度というほかありません。
例えば選挙公報に掲載
する公約が立候補者の意志によったのではなく他人の作文であれば、選挙民を欺いていることになります。
国家試験並の環境下で作った原稿を、そのまま複写したものを公報にするなどという厳格な方法によるべきでしょう。
しかしそれさえ人間としての倫理観、創造力ほか隠され分からないことはまだまだあるはずです。衆議院議員総選挙で
広島6区に出馬していたホリエモンこと堀江貴文候補が当選9回の大モノ議員亀井静香に惜敗(次点)で落選しました。
裁判中ですがあと少しで彼が議員バッチを付けるところでした。
公約について、「公約を違えたり、資質に不満があるなら次の選挙で落とせばいい」が決まり文句です、08/10/10テレビ
テレビ「太田総理」で「公約を守れなかった国会議員はクビにします」という設問では視聴者の82%が賛成でした。
しかし幾つもの公約があるのに、どの議決にどう関与したかまで追求するほど人々はヒマではありませんし、次の選
挙でも同じように不適格な人物に投票するかも知れません。
短い選挙期間に立候補者の真実が分かるものでしょうか。
「個人演説会や公開討論会に出向いて研究すればいい」
と言われる方がおられます。しかしそうした会に参加するのは殆どが支持者です。「なじみの顔にばかり呼びかけても票
の拡大にはつながりにくい」と考え、「オーソドックスな演説会は初めから予定していない」候補が多くなりつつあるの
です。第一そうした会での立候補者の弁舌では候補者の外面が知れるのみでしょう。
選挙の公約について国民がい
くら慎重に選んだとしても、当選後は議員は「自由委任」というカーテンの向
こう側に行ってしまわれ責任は問われません、さらには党議拘束のバリアーに篭られる場合もあります。
これでは「検討は無駄になった」と思われても当然です(郵政民営化絶対反対で議員になり、議決で賛成され
た複数の方もおられました)。
当今は多くの方々がブログで大量のログを公開しておられます。「多くの立候補者のブログを読むべきだ、そうすれば
真実に近づける」しかし国民に、多くの立候補者のブログを読破できるキャパシティーがあるものなのでしょうか。
到底無理というほかありません。
しかも多くの政治テーマがあり、それぞれに賛否できるべきなのに、たったの一票に集約して投票しろという制度です
。まさに無理難題であって、人権を侵している可能性があります。立候補者の真実さえ不明な選挙制度、これでは籤を
引くのと似た制度というよりありません。
09/8/10の日経では、土屋お茶ノ水大学教授が「完全比例代表制にし、マニフェストに従って裁決すれば大半の案が可決
できる、議員も大幅に減らすべきで、現在は党の頭数として機能しているだけ、議員の役割が裁決の際の頭数に過ぎない
なら、高給を払い、身分を保証することはない。政党は党員や職員だけでなく、理念に共鳴する専門家からなる政策集団
を擁し、官僚に対抗するプロを育てる、会議ではプロ同士が実のある議論をする。個人の人気で政治が左右されるのは
好ましくない」と主張されています。
議員が党議拘束に則り、議案に賛否するだけなら、議員の大幅な削減は否定しにくいものがあります。しかし議決
権力を持つ人々があまりに少数であれば、外部からの政治工作が容易になり、却って危険です。
める。
いずれにしても避けられない欠陥は、テーマAは与党を支持し、テーマBは野党を支持したいと考える自己表現の
権利は達する事はできません。
もしも与党に絞り込めばどうなるでしょうか。与党は「テーマBも支持してくれている」
として利用するはずです。即ち反対したかったテーマBは「賛成として逆用」されます。
大袈裟に言えば主権を盗まれ悪
用された事になります。政治的な意志は個々人固有のものであって、個々の重要テーマ毎に国民の意思を問い、多数の
意志を法とするのが正しいデモクラシーではないでしょうか。
数年に一度のみ、只の一票、しかも公約には責任がなく、議員は自由委任のバリアーに隠れるという制度は、既に破綻
していると言うほかありません。
09/8/30第45回衆議院議員選挙の投票が行なわれましたが、その35日前の世論調査では、民主党に政権を委ねたい30%、
自民党に委ねたい25%、大連合政府をして欲しい50%です。
これは実に重大な問題提起をしていると見なければなりません。
各政党は「我が党が正解、我が党に全托を」と叫んでいます。しかし世論調査の結果では、国民の半数が「両方とも
偏っている、是非とも一緒に議論をして煮詰め、議決を」と考えておられるのです。
ところが投票の段階では「大連合」などありません。どちらかに絞らなければならないのです。ここが最大の問題点です。
僅かでも勝利した党は「我が党の全方針を国民が支持した」と叫び、自由委任の下ですから、まさに相手党を
殆どないがしろにした政策を推し進めるはずです。国民の希望である「大連合」とはかなり異なってしまう
のです。
一国の方針が振り子のように極端から極端に動く、この不条理はまさに小選挙区制の欠点です。
参政員制度のような、国民がより精細に意志表示ができる制度も並存させなければ、危険な方向に向かうでしょう。
ーーーーーーーーーーーーーー議員の価値観ーーーーーーーーーーーーーー
政治の第一義は国民の生命財産を守ることですが、先進国の自殺率は、人口10万人当たり、日本は23.7人、フランスは
17.6人、スイス17.5人、スエーデン13.2人、ドイツ13人、米国11人、オランダ9.3人、イギリス6.7人となっています。
自殺率が先進国のトップとはまさにわが国政治家の恥なのです。一体なぜでしょうか。議員や霞ヶ関官僚は生長過程
において英才教育を受けたり、安定、充実した人生体験を続けてこられた結果、底辺層を理解できる方々が少ないの
ではないでしょうか。
「人々は楽しみ、結構豊かに暮らしている、政治は成功している、痛みを伴う強い改革は不必要」という楽天的な価値観の議員が
多ければモチベーションは低く、痛みを伴う改革は無理でしょう
秀吉や松下幸之助(オバマ大統領や橋下大阪府知事も)のように庶民の感覚・価値観が染み付き、熱情のある方が政治に参加
することではじめて改革が可能になるのかも知れません。
技術の進歩で、政治意識の高い人は、制度さえあれば、議員になら
なくても、立法の場面にさえ参入できるのです。無数の小オバマが議決に参加するーーーーこれでこそ政治はよくなるでしょう。
亡くなられた松岡農水大臣は「いまどき水道水を飲む人はいない」などと発言して論議を呼んでいましたが、ぬるま湯
のような価値観の人々の多い議会に、熱情のある国民も参加させなければならないのです。
(参考までに「議員に負け組の家庭視察を義務とす
る法案の是非」について世論調査netで調査中ですが、現在賛成33反対25です)
08/11/14テレビ「太田総理」
で「政治家は3ヵ月間 サラリーマン研修をしてもらいます」の設問では、視聴者の71%が賛成でした。議員が低所得
層の生活を体験することは議論の価値はありそうです
議論を重ね、練りに練った中選挙区制は金権腐敗政治に繋がったとして廃止され、出来上がったのが小選挙区比例代表並立
制です。93年のカナダ下院の選挙では与党169議席がただの2議席に激減した例のように、極端に差が生まれてしまう
事、死票が多くなる事、地域エゴが国政の場に持ち込まれやすい他多くの欠点があります。
一方政権交代を起こしやすくなるので与党は真剣にならざるを得なくなるという長所もあります。
与謝野馨氏は「大局を見る視点に欠け選挙区の事情やメディでの人気を優先する候補者ばかりが当選しやすい制度」
と言っておられます。小選挙区制は数々の大きな欠陥と弊害があるのは間違いがなく、やがて修正される事になるで
しょう。
政治改革議論になれば必ず出てくるのは、こうした選挙区制修正論です。しかしもしも素晴らしい選挙区制度が出
来上がったとしても、一括一任という粗い制度の範疇に属するのです、テーマAは与党を支持し、テーマBは野党を
支持したいと考える有権者の思いに応えることはできません。
又投票後に生まれた政治テーマへの賛否は議員任せです。当然議員は官僚と献金組織に遠慮しますから法は偏り、社会
の二層化に繋がります。
一般国民投票制度や参政員制度が実現し、国民の政治参加の機会が増えれば当然国民は政治に関心
を持つようになるでしょう。
国民が政治に関心を持たず、8割もの人々が「もはや政治には何も期待していない」と考
えているようですと、議員としても「どうせ国民は関心がないのだ」と考えて意欲・モチベーションは上がらず、金策
に精を出す事になるのです。
国民が政治への関心が高まると議員も緊張せざるを得なくなります。それには「投票の後
は議員にお任せ」という制度ではなく、「自分が意志表現したテーマは、どうなったか」と日を置かず確認できる制度
でなければなりません(勿論議員に一括一任された場合には到底無理ですが・・)。
政治は国民の政治的民度を反映しているといいます。多くの国民が政治に関心を持ち種々の賛否議論に接触するようになれば
「政治的民度の向上・精神的成長が起きる」のではないでしょうか。
(民度とは、国民がまわりの流れに押されず、自分でモノ
を考え、歴史や地理からどのくらい教訓を得ているかの度合い、地域住民の自治参加意識の高さを示す言葉、モラルの
成熟度、国民の精神年齢・・ほか多くの見方があります)
ーーーーーーーーーーー政治家の資質についてーーーーーーーーーーーー
オバマ大統領について以下のような文があります。「1961年ケニアからの留学生だった父
(のちに学者)とカンザスからハワイ大学に勉強にきていた母との間に生まれた。2歳の時に両親が離婚、後に再婚した
母とインドネシアで幼少時を過ごしたのち、ハワイで小青年期を送る。コロンビア大学卒業後は、シカゴへ移り貧困に
苦しむ黒人たちに助けを差し伸べるNPOのコミュニティグループで働いた。
成長していくうちに自分が黒人であることを嫌でも認識せざるをえなくなり、マリファナやコカインにも手を出したこ
ともあったというから、多感な青年期での体験がオバマ次期大統領の人格形成に大きく影響を与えたであろうことは想
像に難くない。
アメリカを愛し、国民を愛し、彼らと共にあらんとする意識。それが自らの行動原理になっていると同
時に、彼らを守るために、自分の命を捨てているようなところさえ感じる。
改革の為には死んでも本望だというくらいの決意。特定の団体のためではなく、特定の人種のためでもなく、特別の誰
かのためでもない、ただアメリカと共にあるという」・・・
彼が自分から社会福祉活動に飛び込んだのなら誠に素晴らしい資質の方と言えるでしょう。だからと言って彼の判断が必ず正し
いとは限りません、民意を無視して強い権力をゴリ押しされるようですと問題が起きるでしょう。
翻って我が日本のリーダーに、人生の初期に辛酸を舐め、社会の不条理に気付き、改革の為に燃えるような熱意と正義
感を持たれた方はどれほどおられるでしょう。
平均以上の家庭で育ち、有名大学を出、順風の中で生長されてこられた方が名誉欲、権力欲で立候補し、当選
された方もかなりおられるのではないでしょうか。
2003年中小企業庁が、3000社強のデータを使用し、創業者の同族が代表者を継承した同族企業の成長率が非同族企業に
比べて統計的に有為に低いと発表しています。
saito.takujiは「Family Firm and Firm Performance Evidence from Japan」 の中で「創業者が経営を行っている企業
の経営効果は高いが、創業者が引退後に創業者一族が最大株主で、且つ、創業者の子孫に世襲された企業の市場価値は
低い」としています。
日本では親族が政治家で、順風の中で育ち、名門校を卒業したエリートが議会の多くを占める状況ですが、上に示したよう
に多くの議員は危機意識や、改革のモチベーションは高くはないのかも知れません。
立候補者のモチベーションの検証に、選挙公報には、公約、そして、仕事を通して社会の不条理を経験したり、「青年海外協力
隊」や社会福祉活動・ボランティアに従事し、十分な常識と世直しのモチベーションを得た事の作文を書いて頂
きそのまま載せるのがいいのかも知れません。
ーーーーーーーーーーーーー今の間接政治も必要ーーーーーーー
参政員制度は1年間に重要な5-7のテーマのそれぞれについて、「支持する政党」を選択し、議決の場に投入する、同種の票が
10万票集まる毎に議会の票決に一票として加算、議員も一票を行使(このほか、参政員は一票を行使し、議員は選挙
区の平均得票数10万票を行使する方式も)というものですから、年間100数十もある議案は議員のお仕事として従来通りこなして頂く必
要があります。
「参政員は全ての議案に関わりたいはずだ」というご意見も聞いていますが、議員でさえ全てには関わっておられない
のです。所属される幾つかの委員会に出されるテーマには関わられますが、それでさえ党議拘束がかかっていますから
議員は個人の意志を持たなくても済むのです。
参政員が全議案に関わりたいのは正論ですが、現実には参政員もキ
ャパシティ(時間的許容量)やアビリティ(知的範囲)には限界があるはずです。100を越す全議案の内容を十分に理解消化して
、その一つ毎に政党を選べるという人は極めて少数でしょうし、議会システムも大修正が必要になります。ただ
参政員制度が国民の間に浸透して「二ヶ月毎に1テーマではなく、2−3テーマずつの議案を」という声が強くなる可能性
はあります
独裁、共産主義も含めどのような政治体制であつても1-2割の支持・信奉者はあります。彼等はその体制から恩典を受けて
いるので変革は望みません。しかし社会のヒズミが大きくなれば社会不安を来たし信奉者といえども不利益を蒙ります。
政治の要諦の一つは定期的に国民の意思を取り入れて時代に合うようバランスをとることです。
バランスといえば、近
年若者の政治離れにより、政策の年齢格差が議論されています。日本の若者の間では「政治に関心を持つことはダサイ」
と見られがちです。「時間をやりくりして投票所に行っても政治が変わるとは思えない、そんな事より目先の自己
実現が重要だ」と。こうした結果、政治は高齢者の票に偏ります。
若者にとって休日の数時間はかけがえのないものです。投票が簡単に済むよう、例えば生体認証システムを利用してATM
投票、そしていつかはケータイで投票・・・・など新しいシステムが工夫されるべきでしょう。
宝くじや景品などで投票を誘ったり、逆に棄権者を罰する国もあるようですが、政治テーマの多くは可否の判断に苦し
むものが多く、さらに「経済政策は与党支持、年金問題は野党を支持したいから投票しようがない」というケースもあり
、「投票を強制する」と責任ある意志とはなりません(ですから重要テーマ毎に政党を選ぶ制度が必要)。
即ち一票しか行使できない選挙制度は教育水準も低く、情報源も偏った時代に考えられた制度であって、現代にそぐ
わず、粗雑過ぎるのです。主権在民を謳うのなら、国は、より精細に意志が表現できる制度を用意する義務があります。
議員と国民の意識はかなり異なっている例として、09/5/29テレビ「太田総理」では「選挙カーと選挙ポスタ
ーを禁止すべき」というテーマで激論がありました。
出席議員の多くは「必要だ」としていましたが、タレントも含めた票決で賛成13。反対8で可決、しかも数万名と思われ
る視聴者からの意志表示は88%が賛成であつたとのことです。出席者の一人が「公約の一覧を配ればそれでいい」との
提案がありました。今、各戸に選挙公報が配布されていますが正にそれだけで十分という主張です。
仮にポスター、選挙カーや選挙事務所も禁止となれば、議員の言う「選挙に金がかかる」事はなくなります。
「金集め」が必要でなくなれば政策に時間を取れるようになるでしょう。
民主党の小沢現幹事長は秘書が西松建設との献金疑惑で逮捕された為に副代表に降り、鳩山氏と岡田氏の間で代表選挙が行わ
れました。多くの世論調査では2/3が岡田氏を支持しており党上層もそれは承知していましたが、議員のみの党大会の結
果、鳩山氏が2/3を得て代表になられました。もし参政員制度に似た、党員やサポーターも参加しての代表選挙であれば
結果は違っていたかも知れません。
「麻生氏と鳩山氏のどちらが首相に適当か」という世論調査(09年5月)では「どちらもふさわしくない」が6割ばかりで
す。
参政員登録をされる方は有権者の2割台と想定していますが、たったそれだけの政治参加で、目に見える成果を期待で
きるものでしょうか。例えば「議員の世襲禁止」について9割近い国民は「賛成」です。一方議員の7割ばかりは「
反対」です。定額給付金の場合も国民の78%が反対でしたが議会では賛成が過半でした。こうした場合には参政員の票
がキャスティングボードを握るでしょう。勿論参政員が増えればそれだけ影響力は高まります。
ーーーーーーーーーーー林政の失敗ーーーーーーーーーーーーー
数々の失政の一つが一斉造林の失敗です。林野行政は半世紀前に杉・ヒノキの大規模な植林を奨励し、結果としてロ
ーソク林化、表土流出、山腹崩壊、河川水量減少など歴史的環境破壊であったことが判明しました。
しかも驚く事には
一斉造林に関連する補助金行政温存と森林組合との関係維持のため、失敗など全く認めず「災害に強い森づくり」等と
して今もって継続しているのです。
「国の方針は誤りだ」として膨大な債務を抱えた滋賀、鳥取、神奈川はじめ全国の造林公社は苦慮し訴えてい
ます。例えば09/9/4滋賀県造林公社問題検証委員会は国に「環境が変わっても見直しをしなかった国の林業政
策は誤り」としてして千億円の造林公社債務の国負担を求めました。
都市の中高年男性の多くが自給自足を夢としていますが、土地の利用規制・制限があまりにも厳しく、夢は適いません
。役所は、補助金確保、職場維持の為に農地、林野を管理し続けたいという欲望があるのでしょうか文字通り
「規制の山」です。信じられないことですが林道を補修したり下草を刈るのにさえ、知事へ書類で申請しなけ
ればなりません。書類は幾つもの部署を回り判断されます(このような無用と思われる書類作成のために現場は遅滞
し、しかも高給を取る非常に多くの公務員を必要としているのです)。
植林で言えば、数千の樹種の内、極く僅かな指定樹種のみを許可するという規制があります。
植林事業は大変な先行投資を必要としますが、温暖化の異常気象で強力な台風襲来や豪雨多発は必至と言われています。
一度大型台風が植林地を襲えば被害は途方もなく巨額です。植林が金に変わるまでには40年近くを要しますが、
その間無事である可能性は減りつつあるのです
山地の保水や地盤保全、植林費、維持費なども入れて考え
れば自然林化が最善というケースが殆どと考えてもいいでしょう。
関係文書の幾つかを紹介します。元熊本大学教授松本幡郎氏は「森林の保水力に関して、平成16−17年に、国交省
と民間で「山林の水に対する浸透保水実験をし、保水については、植種は保水に影響はない、大きなファクターは地質
・土質的要因であり、森林の保水力については多くのデーターそして有効無効各論があり現時点では確実な事は誰にも
分からない、明確な事は森林が渇水を緩和したと認められる事例は世界に一例もなく「森林は水の消費者である」とい
うことであった」
「高知県大豊町の渇水問題です。1960年代に植えられた杉・ヒノキの生長に伴い森林の蒸発散量が増
え、河川への流出量が減少しました。植林の「一時保水力」のみが注目され、「消失保水力」は無視される傾向がこの
記事から伺えます。
岩崎町長は「山ばかりが緑が一杯、その町で水涸れが起きているとは、誰も思わんでしょうな」と
39億の町予算に、毎年1億もの飲料水関連予算が必要と嘆いています
京都市森林組合雲ケ畑支所所長の久保清美さんは、「山の保水力が弱くなり、見えない地中で何かが変化しているので
は・・、小さいころは、川で泳げるほど水量があったのに、ぐんと減ってしまった、異変を指摘する住民の
声をよく聞く」という、
飛騨川漁協の太田嘉俊組合長は「東白川村はヒノキの産地で、落葉樹があまりない。そのため
に山林の保水力が乏しくて雨が降れば川はすぐ増水し、日照りが続けば水が無くなる。洪水になればアユは死滅し、水
が減れば魚の生活圏が狭くなる。山の保水力が大きくなってこそ昔の川に戻ることができる。川を守るためには、山を
守らなければならない」と強調し落葉広葉樹を植樹しています
安芸市の芸陽漁協は、水とアユの豊かな伊尾木川の清流を取り戻そうと、源流の山林を購入し手入れをする取り組み
をはじめています。伊尾木川上流の山は、戦後植林されたヒノキなどの針葉樹があまり手入れをされずに放置されてき
たことなどから、保水力が低下。雨が降るとすぐに大水が出て、泥が川へと流れ込みます。日常的には水量が大幅に減
少し、川がやせてきました。このため、多くの稚魚を放流しているにもかかわらず、アユの量は減ってきています。
今森林組合と連携し間伐に取組んでいます」
「環境を守り被害額の少ないのは自然林だけ」とする学説や主張は益々大きくなりつつあります。
「宮脇方式による広葉樹植林事業は、企業の森づくりや、水源涵養林づくりなどと同じ、「日本政府の森林偽装」の一
つであり、税金の無駄使いというより、税金詐取に当たります。地球温暖化対策と同じで、林野庁が生き延びる為に行
っているだけの、無益かつ単なる森林破壊事業に過ぎません。(日本政府の森林偽装・・より転載)
07/9/17のテレビでは、スーパーコンピューターが「ブラジル沖の台風」を予測し、学者は「ありえない進路」と
哄笑、しかしそれは現実のものとなったと報じていました。
同コンピューターは「海水温度の上昇で超大型の
台風、大雨等が日本を直撃する」とも・・これは大震災の起きる可能性よりも遥かに高い可能性があると考えるのが至当
かと思います
そうした確実性の高い未来予測に目を瞑って、治山治水の為(本当は治山治水にならない)、そして産業資源として杉等
の特定樹種の植林に巨額の国家予算を組む(残念乍ら民主党さえも)ことは、下世話に言えば「ドブに金を捨てる」
いや「山に金を捨てる」行為で、むしろ海外での植林に金を使うべしという主張に説得力があります
さらに林野庁は、これまでに形成された約四兆円という巨額の借金のみでは肩身が狭いとして、信じられないことに国
有の貴重なブナ自然林などを大規模に伐採して金に換え自然破壊に輪を掛けているのです。御用学者、林野族議員、林野
庁役人がこうした不条理の推進者です、不条理を横目に眺めながら林野役人に遠慮せざるを得ない人々(議員)も責任が問わ
れなければならないでしょう(09.6月の時点では民主党でさえ族議員や林野役人に妥協しているのではないかと思
われる100万人雇用の林業再生プランを掲げています)。
山林は原則として自然林化を志向し、健康や慰安の為、又将来の食糧危機に備えて、食べられる実のなる樹なども「自由
に植えられるよう規制を大幅に緩和すべき」でしょう。勿論森林役人も大幅に減らす事が必要です
森林作業員の本音が
見られる掲示板はヤフーの検索で「どげにゃせんといかん」として、ご覧下さい。
農畜産行政の不条理も少し述べておきましょう。
畜産課から牛乳の消費が振るわず廃棄してくれとのことで、処理費用を払って廃棄、次には
乳牛を減らしてくれ、との事で数を減らした、今度はバターが足らないから乳牛を増やしてくれ、次はバターが余ったから
酪農家が買ってほしい・・・とは花畑牧場 田中義剛 さん の言葉です
・・
ーーーーーーーーーーーー原発の失敗ーーーーーーーーーーーーー
まさに同じ政治の構造的な欠陥から推し進められているのが原発を柱とする誤ったエネルギー政策です。数千億円もの
電源三法交付金に政治家(民主党も含め)、役人、学者も含めて膨大な人々が蜜にありつき正当化の啓蒙をしているのです。
蜜の実情の一部ですが「もんじゅ」の開発などを進める文部省の特殊法人、核燃料開発機構が20年以上にわたって『社内調整
費』と呼ばれる『裏金』を捻出し、その額は判明した最近5年間だけで254億円にのぼり、一部は職員の給与の水増し分です。
「火の海にしてやる」という脅し国家が側にある事、国際テロ、巨大地震、誤操作、金属疲労等の事故、装置の欠陥など、
原子炉が一旦破壊されれば途方もない災害になります
、「原発が5.9円で一番安い」はいわゆる「官の数字」で数百年という
長期保管費用を含めない全くのデタラメです。
青森県六ヶ所村の再処理工場の排気塔から排出される一日当りの放
射能は、日本の全原発54基から放出される放射能に匹敵するとのことです。
1年間で出す全原発の放射
能を、再処理工場でたった1日で出してしまうのです。
六ヶ所村沖合い3kmの海洋放出管の放出口か
らは、トリチウム、ヨウ素、コバルト、ストロンチウム、セシウム、プルトニウムなどあらゆる種類の放
射能が、廃液に混ざって海中に捨てられます。キャスクの地層処分も未完成です。使用済み核燃料の貯蔵スペースはほぼ満杯です。
あと数年分しか独自に保管できない原発もあります。
既にある20数万本の放射性廃棄物入りドラム缶もこの先
300年管理しなければなりません(既にサビ)コンクリートの擁壁にはヒビさえ見られるというのにです。
関係者は「我々は日本の百年先どころか千年先を見据えてやっている」と言います。彼等原発族に
とって「安全神話の維持」はまさに生活がかかっているのです
百年先には人口は半減、技術
の進歩で電力消費も減るでしょう。(カリフォルニア州などは電力消費の大きなテレビは禁止の方向)
又水や有機物
から水素を生む技術や、木や雑草をアルコールにする技術、地熱風力波力光発電、磁気冷凍冷暖房、燃料電池など技術の進
歩があり「原発は過渡期用、将来全く不用」が定説です。
千年先など無責任、犯罪的ホラとしか言いようがありません。電源三法は真の民主政治の下では消え去る事でしょう。
ーーーーーーーーーーーーーー鎖国国家ーーーーーーーーーー
08/4月英投資ファンドのTCIが、電源開発(Jパワー)株買い増し計画に対して、政府は中止勧告
をし、TCIは「勧告は誤った論拠に立脚している」と拒否した事がありました。
ではなぜ日本政府は世界の評判
を落としてまで
買い増し計画に反対したのでしょうか。Jパワーには経産省からの多数のOBが居ます、ICIが「電源開発」の株を買い
増して、発言力を高めれば、こうした天下りOBが擲り出される恐れ、さらには天下り用の席が消えるなどという理
由があるのです。日本空港ビルへの投資拒否と全く同じ理由です。
残念ですが、この結果「日本は改革でき
ない閉鎖国家」と世界から確信されることになったのです。イギリス病は外資導入で治癒しました。渡辺喜美
元金融担当相は外資導入を叫び、大田弘子元経済・財政相、岸田文雄規元制改革担当相らが「規制反対」の意見を
表明していました。(この顛末は不慮の金融危機でTCIが持株を売却し終結)
ーーーーーーーーーーーーーーーーQ&A(参政員制度・Q&Aのサイトより抜粋)ーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーー「今以上に国民が政治に参加する制度は危険ではないのでしょうか」
ーーーーーーーーーー
「自由委任」お任せ民主主義は、個々の政治テーマについて国民には出る幕はありません。しかし、子供にお小遣いを
月決めで渡し管理させるとか、旅に出して失敗等を経験させれば子供は明らかに成長するものです。
パソコンでも何度
もフリーズやフォーマットするうちに習熟するものです。投票の一瞬のみに責任を
持たせ、そのあと議員は何をしても「自由委任」のカーテンの陰に隠れる、どこに国民主権があると言えるのでしょうか。
加藤元幹事長は「国民は10万円と1億円の違いが分らない、だから我々が必要なんだ」と言われました。戦前には屡「女
が政治に参加すれば国は潰れる」と言われたものです、
また郵政法や臓器移植法でも分るように議員でも判断がつかないものも多いのです。議会内部で「西欧に習って死刑を
廃止しよう」という動きがあります(09/8/8議員の約4割が死刑廃止派と報道される、09/11/20ロシア死刑廃止)、安楽死、
労働移民受入れ、体罰是非、食糧自給、そのほか正解がなく、専ら国民の価値観の大勢をもつて法にすべきことは無数に
あるのではないでしょうか。
またモノゴトの決定に重要なものは、精神の資質と豊かな知識ではないでしょうか。赤字に陥りがちな議員ですとどうしても献金組
織に甘くなり、官僚とのパイプが大きな財産とお考えの議員は、官僚の出してきた企画や裁量、示唆に甘くなります。
こうした人々のみが偏った立法をしてきた結果が実質的破産、そして社会の二層化です。
議員や官僚のみによる政治は既に破綻しているのです。子孫に無断で借金していて曲がりなりに動いているだけです。
09/8/27日経では、民主主義の欠陥は将来世代の声が反映されず、現世代の利益を追求して政策の競い合いが行なわれる
事だ、現世代の有権者にこびる政治家ではなく、子孫も代弁して今の有権者を説得する政治家でなければ・・と米国の
経済学者ブキャナンの財政赤字累増説を展開しています。
政治家は当面、権力を握りたいのです。ですから「夢」を
語り、大盤振る舞いのマニフェスト、結果殆どの国は赤字累増です。しかし任期が済めば責任は問われず「知らぬ顔」で済みます
。国民は国が
破綻しても逃げるところはありませんし債務も子孫に否応なくのしかかります。無限に責任があるのです。
「子孫に良い日本を引き継ぎたい」という思いも議員よりは強いでしょう。「我々は子孫に責任がある。議員に一任す
るのではなく自己責任の政治の方がいいんではないか、少しぐらいの不便は我慢しようじゃないか」というコンセンサスは得られ
るはずです。
しかし多くの国民には多数の議案を全面的に引き受けるキャパシティーはありません。
そうしたものは仕事として議員に取組んで頂くという参政員政治制度とならざるを得ないのです。
尚、参政員制度では、50%条項を設けています。即ち、99%あり得ない事ですが、参政員登録者が有権者の50%を超えた
場合、議員の投票票数と同数に圧縮するというものです。例えば参政員登録者が6000万人となり、10万票毎に議会の議
決に加算する場合、600票を参入させる必要があります。
これでは議員の行使する総票数を超えてしまいます。こうした場合には
議員の行使される総票数と同数に圧縮します。
(参政員は一人一票、議員は選挙
区平均得票数を行使する制度の場合には、議員の行使する総票数が3000万票の場合、参政員の票も3000万票に圧縮され
ます)
50%条項は参政議案以外で、議員が仕事として取組まれる100ばかりの議案議決の権威の為、そして、根強い衆愚
論に対する融和条項として設けています。
なお専門家達の判断の場に国民の常識を参加させる参政員制度に似た制度は既にあります。
政党の代表を選ぶ際に、党員やサポーターを参加させる制度や、裁判員制度、さらにはスイスなどのように重要テーマ
については国民投票で、それ以外の多くのテーマは議会がこなしていますから正に参政員制度に似ています。
参政員制度について過去何度も世論調査をしていますが常に6割以上の賛同がありました。
マスメディアによって数万人という大規模な世
論調査が行なわれて、賛同が過半数であれば、政党や立候補者は参政員制度を担がざるを得ないのではないでしょうか。
ーーーーーーーーーーー「僅か5-7の議案に参加するだけで選挙権を閉鎖されるのか」ーーーーーーーーーー
ー
是非とも「衆議院・ 議案一覧」としてネット検索して詳細をご覧下さい。国民の関心が持てる議案は多くはありません。
いくら政治意識が高くて参政員登録されたとしても、参政員に仕事や娯楽、休養の時間まで束縛はできません。しかも議案は議論
を煮詰める為に「一定期間熟成が必要」です
一つの議案に二ヶ月の熟成期間をとるとすれば10を超す議案でさえ難しいと
考えます。選挙権を閉鎖するについては、権力的契機が二重になる可能性を排除するものです。即ち、参政員として支
持する政党に一票、さらに選挙権を行使して支持する政党に一票では、参政員は一般有権者の二倍の権力を行使した事
になり公平性は失われます。このために例えば、参政員登録や解除は選挙の6ヶ月前に締切る等の制限が必要です。
参政員制度についての他の疑問に関してはホームページの「Q&A」に50項目あり、「2ちゃんねる」における千近い賛否議論もリ
ンクをしていますのでご覧下さい。
ーーーーーーーーーーーーーーー「参政員制度は劇場政治では」ーーーーーーーー
政党・議員は「国民はアメを喜ぶもの」と誤認して、政党、議員の誤った認識の下で構想した政策を強行しがちです、自由委任
政治の欠陥の一つです
以前の地域振興券、09年の衆院選挙前に施行された定率給付金もそうです。事前の世論でも
反対が多かったにも関わらず強行し、却って為政者の信頼を落としてしまったことは皮肉です。
参政員制度は政治家に一任
するのではなく、重要議案毎に政党を選ぶ半直接政治と言えるシステムです。これが劇場政治とするなら国民投票、住民投票
も劇場政治と言わなくてはならず、それではデモクラシーの否定です。
人気投票のように有名人が選ばれが易い選挙そのものもまさにポピュリズム、劇場型政治に類する手法ですから間接政治全体
も否定してしまうことになります。
尚「ポピュリズム」は、政治家、彼個人の政治思想ではなく「世論に迎合して政治を進めよう」とする政治手
法を指される場合が殆どで「衆愚政治」または「劇場型政治」という意味あいで用いられる事が多いのですが
、ポピュリズム本来の意味は「有権者の政治的選好が直接的に反映されるべきだ」とする政治的志向で、その反対はエリート
主義です
ーーーーーーーーーーーー「参政員制度は衆愚政治になるのでは」ーーーーーーーーーーーーーー
印鑑登録証明を添付し、生体認証登録までして参政員登録をし、重要な政治テーマ毎に政党を選びたい、一括一任ではなく
吟味した政治意志を表現したいと考える方は、相当な政治的モチベーションの持ち主と推定されます。
好き嫌い、人気投票などではなく、本来のポピュリズムであって、一般的に言う「衆愚政治」の対極です。
尚参政員登録に際して一定のテストを課して、合格者のみ参政員とすべきではという提案があります。
「参政員」
をステータスにするという案です。しかし選挙の立候補に資質が問われない以上、それは理解が得られにくいのでは
と考え、後日の議論に任せたいと考えます
これまで多くの議論の経験では、参政員制度を「衆愚政治」と批判される方の多くは、議院内閣制やデモクラシーそのも
のを否定し、大統領制などによる強い政治を期待されておられるようです。しかし素晴らしい個人が継続的に出る事はあり
得ませんし、ネット時代です、歴史の逆行はあり得ません。
ーーーーーーーセクトが大挙して参政員になれば心配とのことですがーーーーーーーー
セクトの方も参政員登録は自由です。しかし登録すれば選挙権が閉鎖されます、当然そのセクトの議員は得票が減り、
当選は覚束なくなります。
第一、議員に任せておけば100を越す全議案に関与頂けるのですが、参政員になれば5-7の議案に
しか関われません。どちらが得かは一概には言えません。
ーーーーーーーーーーー参政員制度は費用が高くつくのではーーーーーーーーー
小野寺五典氏の「1票の値段」によれば、日本の選挙には1票につき1万5千円というお金がかかっているとのことです。
日本が1年間に現在の政治システムを維持するための費用は2兆円。 その内訳は、政府と地方自治体の議会費用約
8000億円、国会議員と地方議員の選挙費用 約2000億円(衆院選挙で700億円と言われます)、そして民間から集められる政
治資金が1兆円。
これを選挙権者で割ると、1人あたり1年間に約21000円。選挙が年平均1.4回あるとすると、1票は15000円としておられます。
参政員制度は当面は銀行やコンビニのATM端末のほか、政党代表選挙のような郵送による投票や、従来の投票所の並存
が考えられますが、何れはケータイからも可能になるでしょう。その場合のセキュリティーは既にある生体認証技術で解決可
能です
紙記録併用の集計システム構築にはかなり必要でしょうが一旦構築されれば、選挙毎の経費とは比較できないほどに
安くつくはずです。重要議案ほど党利党略で議会が遅滞します、挙句に廃案も続出、この政治的空白は日本にとって大変な損失
をもたらしています。参政員制度でサクサクと政治が進行することになれば多少の費用は問題外と言えるでしょう
ーーーーーーー「それほど政治に関心があるのなら立候補すればいかが」ーーーーーーーーーーーーーー
長年、多くの場で啓蒙していますと「それほど言われるのなら貴方が立候補し、議員になって、思うような働きをされれば」
という方があります。
いくら政治意識が高くても、極く普通の常識と普通程度の欲望の持ち主であれば、一財産を賭けて立候補しよう
などと考える訳はありません。
また新人への大変な参入障壁もあります。ご存知かも知れませんが先進国で高額の供託
金を要求しているのは日本だけです(日本300万円、イギリス10万円、カナダ8万円米仏独伊は不要)。
地盤、看板、カバンを持つ元官僚や議会関係の世襲者が多く当選する現在の選挙制度は誤りです。このために議会も偏った
階層の人々が多くを占めることになります。
高い参入障壁はなぜあるのでしょうか。
明治以来の政治気風でもあるのですが、政官産業は「大衆は愚、大衆は扇動される、大衆に決定権を握らせると政治は
失敗する」とする牢固とした思いから離れる事ができません。(しかし政官の選択の殆どが失敗で、先進国中最低に落込ん
だのですが・・)、
さらに、権力のパイの場に国民が入ってくれば「権威と取り分が減る」と考えます。その為、先進国では正当
な考え方である「政治の基本は直接政治」を危険視して、全ての政党は「政治の基本は選挙」と吹聴、洗脳しています。
さらに「政官産業クラブ」に「直接政治」に理解ある国民が入ってこないように「300万円の供託金」という高い障壁を設けて
いるのです。
日本の経済はともかく、政治は先進国ではありません。「政治は二流」と言われる所以です。「参政員制度」
による国政議決への参加は「議員の10万分の1」という微小な決定権であったとしても史上初めての「国民の権力的契機」です。
この半間接政治によって参入障壁が崩されたとき、初めて政治は先進国の仲間に入ることになるでしょう。勿論ですが、余程
重要な政治テーマは国民投票が必要です。K.Cさんが作られたサイトのURLはhttp://kangaechuu.hp.infoseek.co.jp/souan_05_6.html
ーーーーーーーーーー最大の問題点についてーーーーーーーーー
もしも将来参政員制度が実現して、「参政テーマ」も政府が出してくる段
階から、さらに進んでNGOさえも「参政テーマ」が出せるようになった場合には環境と福利の利益になる法が次々とで
きるはずなのです。
しかしここに日本の政治で最大の問題が潜んでいるのです。練り上げられ、参政員も参加して議決された法の文章を
さらに「清書、活字化する段階」で担当官僚が公務員の権益を擁護するように霞ヶ関文学で添削する可能性です。
法令はじめ公文書は、事務局が文章を整え清書するのは当然です。ところが明治以来、全ての法令が、官僚の権益を損な
わないよう骨抜きや、多様に解釈可能な表現に修正されてきました。
実際「、」「など」を加筆するだけでも全く内容が変わる場合
もあるのです。
「閣議室」から出て僅か数十分の間に添削されたという手品のようなケースもあったと聞きます。
さらに問題なのは野党も大手マスコミもこれを追及しないことです。
マスコミも含めて政官産業は10数兆円と言われています。
彼等は彼らの世界で喧喧諤諤しながらも、環境や国民の利益よりも、制度そのもの(間接一本・政官業産業)が安泰であることが第一
番の価値なのかも知れません
以前「出先機関35000人削減案」という地方分権改革推進委員会の第二次勧告が新聞の一面を飾りました。
その中で国交省出先機関の地方整備局や、農水省の地方農政局を廃止せよとしています。その文章がいつの間にか「廃止」から
「統廃合」に官僚によりすり替えられています。即ち新しい受け皿を用意して統合(又他の部局に潜りこませる)するとい
う意味で「廃止」ではありません。すり替えた手口は実に巧妙です。勧告には「・・廃止せよ」ですが、事務局が清書して
きたものは「政府に対して具体的な措置を求める事項は5及び6のとおりである」という文言が挿入されていたのです
人員削減案は4にあるために、結論のみを読んだ首相も気付かなかったのかも知れません
09/7/31日には農政事務所と地域課など346組織を10.10月をめどに廃止し、700人程度の職員を削
減するとしていました。ところが、同時に65か所に「地域センター」を新設し、その下にはさらに「駐在」
(分庁舎)も置く。ここで実施する米トレーサビリティー制度のためには約1100人が必要で、「他部門
の合理化をしてやっと職員数の増減はプラスマイナスゼロになる」(同省幹部)との事、要するに看板の
架け替えに過ぎません。
農家への戸別所得補償制度を掲げる民主党は、同制度のベースとなるデータを集め
るには、今以上に統計部門を充実させる必要が生じる可能性もあるとのこと、これでは人員削減のはずが・・・
又一例ですが、公益法人などへの天下りを繰り返して多額の退職金を得る「渡り」を防止するために、又再再就職支援
を禁ずるために国家公務員の再就職を一元管理する「官民人材交流センター」が昨年(08年)決まりました。
この内容に
ついては各省庁も「二回目以降の再就職斡旋をしない」との確認をし、当時の行革相も「政令尊重」という姿勢でした
。
ところが8/12/19に出された政令ではなんとなんと内容が全く変えられているのです。「各省庁は企業に再就職し
たOBの再再就職支援ができる」ことまでが記載されているのです。
官僚が「叩かれてからかなり時間も経ったこ
とだし・・」と官僚上りの議員と図って政令を大幅に改竄した可能性があります。
勿論政府もこれまでの流れを覆すものと認めていますし、中川秀直氏、渡辺善美氏は批判を開始しました。
「官僚には気分よく働いてもらうことが重要だ」とのたまう麻生首相さえも批判派に同調していました。
35000人削減勧告の改竄といい、再々就職支援への改竄といい、官僚が議会や委員会の意思・結論をないがしろにする・
・・・国家国民への犯罪と言っても言い過ぎではありません。
不可解な事に、これらの関連情報はあれ以来一切流れて
きません、背後には議員や官僚、マスコミによる「政官産業の信用を保護」するための密約がなされたのかも知れません。
議員が「官僚による手直し」になぜ異議を差し挟まないのか、「官僚との信頼関係を損ねて、自分の仕事ができなくなる
のでは困る」と考えますから異義は先ず無理でしょう。
また地元企業からの無理な要求にも応えられるような「幅のある言い回
し」を求める議員もおられます。こうしたことから「絶妙な添削」が慣例のように行われてきました。
これを防ぐには権限のある監視組織と罰則が必要です。
09/7/22 日経の中で、中西編集委員は「官僚は国会議員に公共事業の個所づけで面倒をみ、パーティー券の売りさば
き、違法すれすれの筋の悪い陳情処理もする。日常活動で利害の強いきずなで結ばれる国会議員と官僚が本物の地方分
権に手を突っ込むはずもあるまい」と述べています。
失礼乍ら議員と官僚はダメ亭主と、亭主を尻に敷く古女房の関係
と言えるのかも知れません。亭主(小沢・鳩山氏を含めて)は「弱味の全て」を古女房に握られていますから「家計を引締め
ろ」などと古女房の機嫌を損ねる事は到底言出せません。
政治の実権は、政権政党ではなく霞ヶ関の掌の上にあるのです。
「民主、共産、社民は外科的に日本を治そうとしている。自民は内科的に治そうとしている。参政員制度はどちらか」とい
う問いがありました。
病気は医師(政治家)が治すものというのが誤りです。心理・栄養・運動の見地からも見るべきで、何より
病んでいる当人が「自分自身で治す」という意欲の有無が決め手になるでしょう。
政治で言えば、「投票する、あとは
お任せします、よろしく」では医師(政治家)に治療を丸投げしているのと同じです。
国民自身が頭をひねり参加できるルート
を設けることが重要なのです。
(尤も半数ばかりの国民は医師(政治家)を選び、一任しておきたいので、その制度も温存してお
かなくてはなりません)。より具体的に言えば、病は医師(政治家)が治すのではなく、生きる目的を見出し、本人が自覚
して生活習慣を見直すことが大切です。
政治改革で言えば、国民の多くが自覚し「議員任せではダメなんだ、選挙以外に国
民が参加できる制度を作るべきだ」を理解する事が重要です。
09/6/24日経38面「蘇れ医療」の中で「官僚でもなく医師会
でもなく、市民に移る政策の手綱」として、ある患者団体が施策と予算の計上を要求している、とあります(財務官僚の裁量に委ねら
れている点で大きな変革のアクションという訳ではありませんが)
民主党は今回(09年衆院選挙)「霞ヶ関に頼まなくても我々は議員立法する能力がある。政治を官僚から取り戻す、霞ヶ関に
100名を送り込むとも・・」と言いました、
09/11小沢幹事長は「議員立法原則禁止」と発言されました。しかし
公務員組織から支持を受けている為か、人員削減は強調しなくなりました。
さらに次々と要職に事務次官を付け、財務官僚
をことのほか重用しています。
亭主(民主党)は古女房(霞ヶ関)の大きな尻に敷かれつつあるように見えてなりません
。
外国から「日本は官僚がハンドル、企業が助手席、議員は後部座席、国民はトランクの中に押し込められている」と揶
揄されているのは政変後の今も変わりはないのかも・・。真の政治の改革は参政員政治制度や一般国民投票を追加する事に
よってのみ可能なのです。
参政員制度では、「税金は上げるな、福祉を強化すべき」という整合性を持なたい結果になるのではという質問が
ありました。
しかし「小さな政府だ、減税し、福祉も減らせ」と主張する方もあります。考え方は様々で正解など不明です。
参政員制度では最低でも議員が半数の票を行使する50%条項があります、
又参政員登録をされる方はご心配ほど多くはなく
1500万人程度と想像しています。10万票で一票なら1500万人の場合150票が議会の票決に加算されます。(勿論それぞ
れに賛否の意志があります)
なお参政員制度は全面的直接政治ではないのです。現実には議員の票が多数を占める事から、
「整合性」についてのご心配は杞憂に過ぎません
さらに、国が富めばこうした問題のかなりは解決するはずです。今の制度では政争、揚げ足取りに明け暮れ、折角の
議案の多くは審議未了廃案にされ、政治は遅滞するばかりです。言わばエンジンが焼け付いた車です。
先進国最低の地
位脱出も覚束かず、一部の国からは「日本は衰退、デフレのスパイラルに入った、もしかすればデフォルト」とまでささやかれ
ているのです。
「お任せ政治」から「参加政治」に移行する事で実のある行革法もできるはずです。国民の満足感、幸福感が
高まれば、消費行動にも良い影響があるでしょう。
これまでの世論調査によれば、参政員制度の趣旨に賛成の方は6割強です、しかし印鑑証明まで付けて参政員に登録しようと考え
る方は、その中の3分の1、即ち有権者の2割と想定しています(在外選挙権が出来ましたが海外の全有権者72万人の
うち登録は8万人程度、実際に投票した人は2万人余と低迷しています。しかし制度がある事は極めて有意義です)。
国民の多くが参加政治(参政員制度)の意義に目覚められる日はいつか必ずくるでしょう。
大多数の方は多忙ですから「投票こそ政治への参加」と考えて、従来の選挙で意志を表現されるでしょう。総選挙の投
票総数は約6800万票です。小選挙区制の下で、膨大な死票が生まれますから、
当選に結びつく有効な票は6割を切ることもあります。言ってみれば3500万票程が国を左右するのです
。
小選挙区制の為、振り子が右に左に動くように国の施政方針が動く、このような不安定なことでいいのでしょうか。
献金意志や役人へ遠慮する必要がない「参政員の常識の参加」は、こうした危険性を緩和することになるでしょう。
何よりも、主権を「他人に委ねる」か「個々に決める」かという2制度のどちらかを選べるということからくる納得感
、主権が大切に扱われているという幸福感は新しい日本の夜明けにつながるはずです。
現在の一票の格差が何倍かご存じでしょうか。参政員制度では「選挙区議員の平均得票数に近い票数(仮に10万票としています)が
集まれば議決に一票として加算」するか、「参政員は一票、議員は選挙区の平均得票数を行使」します。
参政員制度
では一票の格差は大きく改善されています。これが第一の効果です、
次に、政権政党は「悪政をすれば参政員登
録者が激増する」という思いが去らなければ必然的に善政(世論動向)に向かざるを得なくなるはずです。
しかし「成果」や「効果」は国民投票や参政員制度に本来そぐわない議論と思います。在外邦人の選挙権が認められ「選挙
人登録」が可能であるというように、「主権が投票によって一任してしまう制度のみではなく、より精細に行使でき
るルートが存在し、選べること」は、憲法の「主権在民がシンボルやイデオロギーではなく制度として確立されている」
ことの証明であり、まさに憲法の権威にも関わることなのです
印鑑証明を付けてまで「議案毎に政党を選びたい」という2割ほどの人々は「政治的人権」という至上のプレゼント
を得たという認識を抱くでしょう。
スイスの例から「全面的な直接政治」では増税や予算措置の必要な議案については国民は自分の財布から持ち出す気
分になり、先進性の高い議案は否決される傾向があり発展性が鈍るかも知れません、
一方間接政治のみの政治は選挙
で票をとるために夢を述べ、議会でも大衆迎合に陥る傾向がありますから、どうしても背伸びし、財政を無視しがち
になります(ブキャナンは、大衆は不景気では減税に賛成、好景気では増税に反対するので間接政治は財政赤字は累増と
警告)
両制度ともに欠陥があると言っていいと思います。参政員制度は、議員そして参政員の意思が合算されますから、上
の中間と言えるでしょう
尚、スイスでは保有金を売却すべきか否かという難問を国民投票しています。もしこうした選択が失敗したとし
ても、国民の幸福観は損なわれることはありません、迅速に修正にとりかかることができるのです。
失敗の
ないところに成長はありません。先ず政治的関心の高い国民を議決に参加させる・・全国民の政治的成長はここ
から始まるのです。
ある参政テーマが出され議論が熟成される二ヶ月間、全ての国民はマスコミなどの議論を見聞きします。政治的民度が
高まれば間接政治でも良い政治家を選ぶことになるのは当然です。
ーーーーーーーーーー法源の議論をーーーーーーーー
成文法とは,文書によって書き現された法のことで,一定の手続きを経て国や行政機関が制定することから制定
法ともよばれます。成文法は,我が国を含めた大陸法系諸国(ドイツ・フランス他)において第一順位の法源と
して重要な位置付けがされています。
判例法主義をとる英米法系諸国(アメリカ・イギリス・インド他)でも,
判例に優先し,判例を変更する場合もあり、重要な効力が認められています。
成文法は,計画的に作られたものである為,内容が体系的に整理されており,明確で安定しています。しかし改
正や廃止が容易でない為に、日々に変化し前進する社会に適応し切れないという欠点があります。
一方、文書としては書き表されていないが,一般に法規範として認識され,法的効力を有するものである不文法
には慣習法,判例法,条理があります。
その内、判例法とは,同種の事件に対する同じ趣旨判決が繰り返しなされることよってできあがった判断基準のこ
とです。抽象的な法律とは異なり、より具体的な基準のため、国民が違法合法を予測し易い長所があります。
アメリカ・イギリス他では、第一次的な法源と認められています。しかし,日本を含めた成文法主義をとる大陸
法系国家では「先例拘束性の原理」は認められていませんから法源としての地位は持ちません。(しかし上級裁判
所でなされた判例は変えられませんから実質的に上級裁判所の判例も拘束力はあります)
さて、成文法を第一順位の法源とすることの隠れた問題は、官僚が成文法を至上のもの権威あるものとして、法制
局を従え、その作成の専権、特権を持つことです。議員も含め一般人が容易に理解できない言い回しや、法令の
ジャングルに潜ませるなど役人天国を維持する為に使われることです。
法制局や御用学者の強い抵抗
があるかも知れませんが、日本も米英に倣って判例法主義への移行を議論すべきときにきていると言えるでしょう。
多くの人を自殺に追いやった我が国の悪法の一つが判例によって改善された例ですが、司法判決に族議員の力が及ばなか
った為、議会もしかたなく「法改正」、実質的な判例法です。
「分割弁済の支払いが遅れた場合は全額を一括弁済し
、損害金も払わなければならない」が、「 天と地がひっくり返るほど画期的」と言われた「任意性の解釈を変えた」判決で、攻守が
逆転、金貸し業界は1兆円を超える引当金を計上する羽目になりました。
貸金業界は法環境の悪化で経営が悪化している
のはご存知の通りです(無論 過去に多くの請願がなされましたが全て族議員が揉み消し続けてきました)。
「判例法への移行」これは国民投票や参政員制度の「参政テーマ」の一つとしてもいいほどの大きなテーマです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー{参政員制度}ーーーーーーーーーーーーーーーー
本書を読まれる方であれば、自民党の総裁選挙や、民主党の代表選挙の仕組みをご存知のはずです。即ち、大きな
ハンディがあるものの党員やサポーターも投票権があります。それこそが参政政治、参加政治というものです。
年間に5-7の重要な議案、その一つ毎に支持する党を選びたいと考える人は、住民登録証明と印鑑証明を添付した
参政員登録申請書を提出します。役所はこれを受付け、本人の選挙人名簿を閉鎖するとともに、生体認証システム
用の身体情報を採取、そして投票用のパスワードを提供します。(参政員登録の時に軽い知能テストをという提案もあり
ますが)
政府は年間5-7程度の参政議案を決めます。そしてその一つ毎に2ヶ月間の熟成期間に入ります。
この期間中は「参政議案」についてテレビ、新聞、週刊誌、ネット世界などあらゆる場
で沢山の情報が流され賛否議論がなされるでしょう。
「議論になる
議案」というものは必ず賛成する党と反対する党がありますから、各参政員は自己と同じ考えは何党かは容易に分かります
。
この期間が終われば、参政議案はいよいよ議会で各政党が立場を表明し、議決に入ります。
参政員はコンビニ、郵便局、
銀行、役所などのATMなどの機器(過渡期は郵送や、役所に設置された投票箱も)に自分の支持する党(又は党首名)を
入力します。
この情報は国会本会議場の機器に伝わり、即時に各政党の得票数に加算されます、(もし10万票一票案を
適用するのであれば、参政員の「同じ票が10万票になる毎に、1票として」議員同様、議決の中に算入します)
例えばある重要議案について、A党を支持する参政員票が850万票、B党を支持する参政員票が640万票になったとし
ますと、議会議決の集計に、A党の票として85票、B党の票として64票を加算(議員の票の上に)する訳です(議
員はこれまで同様一人一票)
尚10万票という数字はあくまで仮定のもので、詰める必要があるのは当然です、
電子
的記録は再検証可能なように紙によつても記録されます。
参政員が法案に賛成・反対を表現するのは直接政治で違憲ですから、
政党を指名するのです。
もし各政党がその法案のみについて臨時に「賛成党」「反対党」「時期尚早党」に固まるなら、参政員の
票が複数党に散らばる事はなくなるのですが・・
もう一つの算入方式として、
「参政員は重要なテーマ毎に政党を選択して一票を投じる、一方政治向きの事は議員に任せておきたい人(多分国民
の半数)は議員が代行(選挙区議員の得票数の平均票数約10万票)します。
この場合には議員は約5000万票、参政員は1500万票を行使するのではないかと想定しています」
国民投票と大きく異なる点は、国民投票が全国民の参加、そして議員は不参加が基礎的条件なのに対して、参政員制度
は参政員がたとえ参加しなくても、議会で議員が票決していますから議決に影響がないことでしょう。
即ち参政員は
政治意識が高くても、どうにも判断がつきかねる議案の場合、パスする自由がある緩やかな制度です(議案は議
員のみで不都合なく消化されていきます)
実現の為のシナリオ
参政員制度の法律の成立は、あくまでも法に則り「議員による議会議決」です。
力による「革命」は必要ではありません。
先ずこの制度を衆知させる事、その為に多くの手段が考えられます、
例えば、著名人に啓蒙して、彼に立候補して頂く、
主権がないがしろにされた不条理が起きたら訴訟に訴え参政員制度へ耳目を引く、マスメディアにこの制度を提案して、世論を聞
いて貰う、議員諸侯に広く啓蒙する、ネットで広く啓蒙する、書籍を発刊し、販売そして図書館や学校へ寄贈する、
外国への啓蒙する、地方自治体選挙に立候補しPRする、ほか色々ありそうです
将来双方向デジタルテレビの時代になり、数分で数十、数百万もの意思が集計できるようになれば「デモクラシー見直し論
」が澎湃として起こってくるはずです。
しかしそうした手段を使った「全面的直接政治」は臨機の対応や、揺れ動く外交、ほか国民のキャパシティーからも対応は到底不可
能です。
必ず半間接政治「参政員制度」に似たものになるでしょう。
現在の「間接政治一本のみ」という制度は既に賞味期限が切れ
ているのです。いずれは歴史の教科書入りでしょう
本書は政治の不条理による社会の偏りを知り、苦学してドイツ・マールブルク大の政治学科で学んだ娘幸子のアイデアと、
熱情を遺すべく製本化したものです、
今回の刊行を記念して幸子の霊に捧げます。著者記す
ーーーーーーーーーーーーーーー読者の感想ーーーーーーーーーーーーーーーーー
佐藤さん(仮名)その政治家に未来を託し、こけた場合の責任はどうとるのだろうか。選出された後は、その政治家に任せきりというシ
ステムにも問題があるのではないか。
今までの政治で、個人の意見が反映されたことがあるのだろうか。 国の莫大な負債を償還する見通しが立つ政策が一体
どこにあるというのか。政策を掲げたところで、 財源がないのでは机上の空論でしかない。
そして、参政権を持たない、政治に参加する資格がない子供達に対しても、消費税を納める義務を課すのはどうもおかし
いのではないか。選挙権を持つものは、持たないものまで政策の影響がある事を認識したうえで行使すべきだ。』 とい
うような事を総合すると、現在の選挙制度、政治運営 制度の根本的な変革が必要なのではないかという考えに行きつく。
ここで提案されている参加政治システムは一つの有意義な提案と考えられる
鈴木さん(仮名)
他人に自己資金の運用を委ねて安穏と身構えている投資家は少ない。間接制度下では100%運用先を一手に委ねるし、他
の選択肢はあり得ないから、 ひとたび預けて倒れたらそれで全員が損失してしまい、責任も問われず、取り返しがつかなくなる。
イタリア憲法の75条では一定数の署名が集まれば自動的に国民投票が実施されることを保証しています。オーストリアで
も「国民請願」法にもとづき一定の署名により任意の 課題につき国民投票を実施する法律が施行されています。
スペイン憲法の92条でも「とくに重要な政治的決定は国民投票に付することができる」と 明記されています。
まだまだ例はありますが、国民投票はあくまで「政治的課題」であり「政治的決定」について直接投票を行う行為にほかなりません。
今はまだムーブメントの中心ではありませんが、直接制度は裁判員制度、公的オンブズマン制度、首相公選制
、国民投票法案といった様々な形で政権与党によっても 取り上げられるまでになりました。
いずれはより多くの直接制支持者で議員をめざす人も増えてくるのは間違いなく、ネットのさらなる普及とあいまって近い将来
大きなうねりとなるでしょう。
高橋さん(仮名)
日本人ほど議論が下手な人種はいない。 これほど「和」を持って尊しとする「妥協」至上主義文化を持った国家なんて
世界的にも稀だ 。だから日本人には「議論」を旨とする代議制民主主義は似合わない 。
そもそも代議制の意味も選挙の意味も理解していない有権者が多い 。代議制に執着して「和」の精神で与野党+官僚で「妥協
」するよりは 直接制のほうがそんなおかしな「妥協」しないからマシだ
田中さん(仮名)
国民が全員賢ければ 直接民主制が最強の政治形態なのは間違いない 。衆愚政治は国民に教育が行き渡ってなかった時代の話だ 。
国民のほとんどが高等教育受けてる日本で、単純にそうなるとは思えん 。年金改革も外務省問題も、道路公団も特殊法人も議
員年金も官僚の天下りも、選挙権者全員でネットか携帯電話で投票なら解決できた事は確かだ、 代表民主制なら不可能だけど
渡辺さん(仮名)
民主主義政治に衆愚政治になる危険があるように、市場経済には衆愚経済になる危険がある。にもかかわらず二つの点で市場主
導の意思決定メカニズムは、政治家や官僚などのエリート主導の意思決定メカニズムよりも優れている。
第一の長所は、市場は自分たちの判断の過ちを早く素直に認め、機動性に富む対応をすることができるところ
にある。市場は、分単位のスピードで評価を変える。政治家や官僚などのエリートは、責任ある立場にあり、
しかもプライドが高いので、たとえ自分の過ちに気が付いても、容易には認めようとせず、既定路線をそのま
ま走りがちだ。ソ連経済が崩壊したのも、日本経済が低迷しているのも、行政機構が硬直化していて、環境の
変化に素早く対応して構造改革をする能力がないからである。
第二の長所は、エリートが独占的な権力を握っている場合、特定の利益団体と癒着する危険性があるが、市場
主導の意思決定メカニズムには、その心配がほとんどないところにある。エリートも大衆もエゴイズムに基づ
いて行動している点では同じだが、権力が分散した方が意思決定メカニズムの利権色は薄まる。
民主政治も市場経済も欠陥に満ちた制度だが、人類はそれより優れた制度を知らない。それ以上良いものがな
いという意味で市場原理は、万能の原理ではないが、至上の原理である。
2ちゃんねるで これほどのレベルのものが議論されていたとは信じられない、成功を祈る
伊藤さん(仮名)
議会制民主主義と国民の運動の関わりについて考えてみると 議会活動は重視すべきものであるが、議会活動だけか
らものをみるのは良くないとおもう。議会活動は、あくまでも国民の活動、運動の一部である。だから現在の議会を見
ても議会の中での力が強くても国民の反対があることは実行できない.
ミネさんが提唱しておられる並存制(参政員制度)というものが解決の糸口になってくれるかもしれない。
山本さん(仮名)
国民の政治参加によって利権政治の影響を少なくすることは、じつは経済政策の根本的な革新にもつながるはずである。
今までの景気対策は、ざるで水をすくうようなものだった。 利権政治という穴から水が漏れることで、政策の効果は大きく減退した。
公共投資から理不尽な政治の圧力を減らすことによって、 国民の需要に見合った効率的な投資が可能になる。
ここの提案はステージを変える価値があるように見えるが
小林さん(仮名)
政治の危機からの脱却は政党の再構築しか道はありません。
しかしそれが望まれない今、新しい政治の流れを創りだすのは、良識ある新無党派層の積極的
活動と、「住民参加」のための行政の透明性・徹底した情報公開が不可欠です。
市民の政治参加が活発になることによって、市民の代替者である議員の立法活動も刺激され、
議会の復権が見通されるはずです。
市民が各自治体、そして国政へ主体的に参加していく流れと仕組みをつくり、新しい市民社
会を築き上げていくこと、自覚と責任を基盤とした市民社会。これが、「住民参加」政治の
本質です。
「市民」がみずから法案を立案する住民参加の「市民立法」があってはじめて、政党議員の
法案提案は活発となり、議会が活性化して行くのです。政党政治の復権はこうした活動の裏
打ちがなければ実現しません。
政党主導、官僚主導の中央集権型の社会構造ではなく、市民主導へと日本の政治を転換させ
ていくには、市民みずからも汗を流さなければならないと考えております。
ミネ氏の提案は従来の制度と、主体的に関わりたい人とを参加させる折衷政治構想としてユ
ニークで、あるいは将来大きく開花する可能性も考えられ、関心を持って覗かせて頂いてお
ります
斉藤さん(仮名)
国もまちも金が無くなってきた。そこで市民の考え方が鮮明に出てくる、その一つの例に大阪市で
話題となった「大阪市から市役所丸ごと出て行け」といった市民感情である。
金まわりが良く、あらゆる方面に金をバラまいていた時代の政治や選挙というと、経営対労働者の単
純で分かりやすい形で進められ、国民や市民は問題意識なく参加させられてきたように思う。
しかし、財政難も最悪な状況となってくると、経営者側も勝ち組みと負け組みがはっきりしてくる。
労働者側も単純に一つにはならない、役人(税金を取る方)が贅沢三昧するばするほど民間労働者
(税金を払う方)は生活苦にあえぐ、この実例が大阪市民の声として表現されている。全て金で解
決、金で発展させてきた日本の現状ではないかと思う。
これからの国づくり、まちづくりの発想やシステムを根底から変えなければ進歩はないのではない
かと思う。
お役所に全てを任せるのではなく、市民参加(しかし結果責任も持つ)形でなければならない時代
となってきている。ミネさん 頑張って下さい
加藤さん(仮名)
いろんなボランティアがありますがミネさんの政治活動は最も大きなボランテ ィアだと思いますよ。
最も多くの人が人間性を取り戻し、人間の尊厳が発揮される社会を目指すことは、その成否にかかわら
ず、崇高な精神なしには出来えません。 応援しています。
吉田さん(仮名)
政官業の癒着も問題だけど、司法(裁判官)と立法(国会議員)と行政(総理大臣)の三権の癒着も
問題です。大蔵官僚(行政の者)が国会議員に立候補する事は、行政(大蔵官僚)を辞めて何年か後
なら構いませんが、直ちにということは可笑しいことです。
国会議員は地方から声をあげるべきものです。政党本部(中央)が声をかけて立候補をうながし、
地方の有権者に信を問う形式は、大政翼賛会や全体主義や国家主義や官僚主義や権力の乱用であり、
三権分立の民主主義ではないでしょう。
改革が、どこかだけを血祭りにあげて終わることでは国家レベルでの単なるイジメであり、イジ
メを期待しての国民の人気では亡国となります。制度全体の改革像を示す事です。
民主党が起死回生策に ここの案を採るのがいいと思うものです
役人のストーカーが付くということは それだけ有効の証ではないでしょうか
山田さん(仮名)
政治参加は、選挙参加という古典的な形態から新たな発展を示しているが、
同時に研 究対象領域が拡大し複雑化することによって足踏み状態となつている。
しかし、今日、「議会政治の危機」が叫ばれている時、参加民主主義が提唱され、
政 党や圧力団体を介在させることなく市民が直接、政策決定の場に関わることが強く望
まれていることは否定できない。
つまり大量の政治的無関心が発生し、さらに脱政党化が指摘され、政治不信が拡大する
なかで、市民の参加と民意フィードバックが重 要視されているのである。その意味で
政治参加を再点検し、選挙とデモクラシーの関 係を「参加」という原点に立って分析
することが必要と考えられる。
なぜなら「市民 にとって投票する権利よりも重要なものはない」からである。
佐々木さん(仮名)
間接政治は議員の行動についての仮定や予測、つまり「だろう」によって組み
立てられている制度と見た。
そういう制度なら議員がこうするだろう、という「他人に対する予測」ではな
く、そういう制度なら、有権者がこう投票すればその法案は確実に成立する、
という、「自分達の主権に対する事が確実」に言える「直接投票制度」のある
政治制度に、私は期待したい。
木下さん(仮名)
民主主義が発祥した頃、人々は1ヶ所に集まり、意見を述べ合い、議論をし、表決した。
ところが、人口が増え、管轄の地域が広がると、全国民が1ヶ所に集まる事が困難になり、
代議員制が生まれた。
この議会制民主主義が近代民主主義の形態となって来たが、選挙制度の歪みによっては、
民意が議席に反映せず、形ばかりの民主主義になることもあった。 小選挙区制下の今の日本が正にその状態になっている。
近年のインターネットの普及は、人類が未だかって手にしたことが無い 利便性を提供しているが、
選挙制度によって議席配分の歪みが生ずる議会制民主主義の欠点を補う施策として、
議会の票決には、全有権者が直接、投票に参加するインターネット投票制度の導入が求められるところである。
議論は議会で議員が行い、その模様は完全生中継され、議決は全有権者参加のインターネット投票、これが来
るべき新しい民主主義の形態となろう。 (著者注:国民のキャパシティーから全ての議案には無理と思われます)
松田さん(仮名)
政党と言う組織が国民の声に耳を傾けるのは選挙が近く、かつ世論が明らかにどちらかに偏っている時のみです。
重大問題であっても、賛否両論がある問題については、国民の賛否両論の声を隠れ蓑にして、
あたかも自分達が国民の意見を代表しているように振舞って議論をします。
彼らの得た議席が、個々の問題についての国民の信託を意味しているものでは無いのに関わらずです。
私が並存制(参政員制度)を支持する理由の一つは、この国民の声が反映されにくい国会にあります。
並存制では5案件にしか関われないかもしれませんが、現在の選挙制度では、
議員の任期満了まで1案件にだって投票者個人の声を届けられずに終わるのが普通です。
死票で無くても死票と同じ。それが現在の一括委任選挙の実態です。
山口さん(仮名)
混乱も扇動も現状の間接政治でも存在するし、 責任の事なら、そもそも現行の議員こそが無責任。
そもそも、政治判断の責任は政治家は取らず、 いつの時代も国民が取ってきた。 何百兆もの赤字は、戦後ほとんどの実権を
握っていた自民党の政治家が、 私財を投げ打って弁償するわけでなし。我々が払う。
責任を取る者に判断の権利があって当然。 間接は例外措置。みんなの合意があって初めて許される。
それなのに選挙制度についての国民投票すらしない。 直接が本来の制度。
高木さん(仮名)
私達が国会についてどう議論しようと、 どうせ民意などあまり気にしていない国会議員の議決に関してですから、
せいぜい外野からああだのこうだの批評するぐらいです。 つまり。住民投票や国民投票の事前の議論は、
批評ではなく自分自身がどう投票するかという自分自身についての議論となり、 より深く議論せざるを得なくなると思うのです。
ですから。住民投票や国民投票は、議論をしない多数決制度ではなくて、むしろ、
現状よりぜんぜん多い人数による深い議論の末に投票が行われる制度、と言えないでしょうか?
山下さん(仮名)
民主主義ってのは国民が自分たちのことを自分たちで決める制度のことだ。
誰が支配者になるかを選択する制度じゃない。 代議制度ってのはそのための一手段であるってだけのこと。
自民党か民主党かを選んだら、あとはお任せなんてのは 民主主義じゃなくて、選帝侯による皇帝選挙みたいなもんだ。
個々の法案全てを国民投票にかけろとは言わんが、 それでも全国民的な制度に関わるような法律は、
国会でいくつかの案を作り上げたら、それを撰択できるような 国民投票を行うみたいな直接民主主義的な制度が
あったほうがいい。 医者にしたって、とにかく任せるなんてのは時代遅れだ。
どういう治療方針で治療して行くのか、患者と相談して 決めて行くインフォームドコンセントが時代の流れだ。